伊勢 赤堀城
Akabori castle

       赤堀城跡【三重県四日市市城東町・城西町】
レストランバークラクラ【三重県四日市市城東町21−13】

【立地】平城

【歴史】応永年間(1394〜1428年)、俵〔田原〕孫太郎景信が上野国赤堀庄から伊勢国栗原へ
移住し、城を築いて「赤堀」と改称したと云う。景信は後に肥前守と称し、7代の居城となった。景信
の長男盛宗を羽津城、次男景宗を赤堀城、三男忠秀を浜田城に置き、赤堀三家の基礎を築いた。赤堀家
は国司北畠氏に属していたが、永禄年間(1558〜1570年)頃、関氏の神戸具盛の次男を養子に
赤堀治部少輔具氏が赤堀家を継いだ。1559年長野の工藤氏が四日市方面へ進出〔塩浜合戦〕したが
、浜田勢と神戸勢で退けた。1575年織田信長の「北伊勢侵攻」の際、滝川一益によって浜田城と共
に開城となった。現在は住宅となり、遺構は無い。


【所感】レストランバークラクラの前、松本街道沿いに城跡碑が在ります。高さ40cm程の小さな石
碑で、直ぐ横に電柱が立っているので、近付かないと発見出来ません。周辺は市街地で、城が在った雰
囲気はありません。





 

赤堀城跡の石碑