三河 赤坂陣屋
Akasaka Jinya

赤坂陣屋跡・赤坂代官所跡A・龍泉院【愛知県豊川市赤坂町東裏223】
    赤坂代官所跡B・赤坂保育園【愛知県豊川市赤坂町西裏74】

              正法寺【愛知県豊川市赤坂町西裏69】
              浄泉寺【愛知県豊川市赤坂町西裏88】
            音羽図書館【愛知県豊川市赤坂町西裏47−1】
            大橋屋旅館【愛知県豊川市赤坂町紅里127】
              法雲寺【愛知県豊川市白鳥町下郷中73】

【立地】平地
【別称】赤坂代官所A:赤坂陣屋・静岡藩赤坂郡代役所
    赤坂代官所B:赤坂出張所・三河県役所・静岡藩郡代

【歴史】1600年「関ヶ原の戦い」の後、赤坂は天領となり、初め、赤坂町東裏〔赤坂代官所A・龍
泉院辺り〕に代官所が置かれた。中川勘助−松平清四郎−畔柳寿学−松平浄感−松平清左衛門−鳥山牛
之助・鈴木八右衛門−鈴木八右衛門−鈴木八右衛門−国領半兵衛が代官を務め、1689年野田三郎左
衛門が代官所を赤坂町西裏の神木屋敷〔赤坂代官所B・赤坂保育園〕へ移した。太田弥太夫−万年三左
衛門−万年七郎右衛門−大草太郎左衛門−南条金左衛門−岩室伊右衛門−倉田伊右衛門−岩室新五左衛
門−山田治右衛門−野田甚五兵衛−天野助次郎−辻源五郎−岩出伊右衛門−真野惣十郎−岩松直右衛門
−大草太郎左衛門を経て、寛政年間(1789〜1801年)以後、遠江国中泉の代官が支配し、赤坂
は出張陣屋となった。幕末に至り、三河県役所に改められ、1869年再度、赤坂町東裏〔赤坂代官所
A〕へ新築移転。1872年廃藩置県で廃止となる。現在は住宅、保育園に変わり、遺構は無い。


【所感】長沢−赤坂−御油を繋ぐ県道374号線沿いに在ります。音羽図書館の入口に東海道赤坂宿の
御休処「よらまんかい」が建ち、向えの駐車場に赤坂陣屋跡の説明看板が在ります。正法寺と浄泉寺の
間に挟まれて赤坂代官所跡Bの赤坂保育園が在り、旅籠「大橋屋」の横に赤坂陣屋入口址の石碑が立っ
ています。赤坂紅里信号近くに参勤交代の大名・幕府の役人や公家が休泊する本陣跡、音羽川近くに赤
坂陣屋跡・赤坂代官所跡Aの龍泉院が在ります。御休処「よらまんかい」の裏手に駐車場があるので、
ここに車を止めて史跡を周ると良いでしょう。



 

赤坂代官所跡B・赤坂保育園〔写真:左〕赤坂代官所跡A辺り・龍泉院〔写真:右〕

 

御休処よらまいかん・東海道 赤坂宿〔写真:左〕赤坂陣屋跡(三河県役所跡)〔写真:右〕

 

旅籠 大橋屋〔写真:左〕赤坂陣屋入口址の碑〔写真:右〕

 

赤坂宿 本陣跡〔写真:左〕移築 赤坂陣屋門・法雲寺〔写真:右〕