土佐 安芸城
Aki castle

安芸城跡・安芸市立歴史民俗資料館【高知県安芸市土居953-イ】
       安芸市立書道美術館【高知県安芸市土居953-イ】
         五島家安芸屋敷【高知県安芸市土居廓中】
            藤崎神社【高知県安芸市土居950】

【立地】平山城
【別称】安芸土居

【市指定史跡】

【歴史】1309年安芸親氏の築城とされる。安芸氏は土佐国東部の有力な豪族で、戦国時
代(1467~1573年)、土佐七雄の一人に数えられたが、岡豊城主長宗我部元親の進
出により、安芸氏×長宗我部氏間で紛争が繰り返された。1563年長宗我部氏が長岡郡の
本山氏攻撃で出陣した際、一条氏と共に岡豊城を攻めたが失敗。一条氏の調停で両氏は和睦
したが、1569年4月長宗我部元親に岡豊城へ招待された安芸国虎は、降服を要求するも
のと思い、拒絶して配下の武将を安芸城に集め、籠城に備えた。同年7月長宗我部軍が安芸
城を包囲。籠城は24日間に及んだが、東安芸川の対岸より火矢が放たれ、城は炎上。領内
の井戸に毒薬を投じられ、兵士・町民に多数の死者が出た。覚悟を決めた国虎は残兵と領民
の助命を条件に8月11日菩提寺で自害した。安芸城は元親の弟香宗我部親泰が入り、安芸
守を名乗った。1600年「関ヶ原の戦い」で西軍で参戦した長宗我部元親の子盛親は除封
、1601年土佐へ入国した山内一豊は佐川・宿毛・窪川・本山・安芸の5城に重臣を配し
た。安芸1100石を預った五島為重は、安芸城南麓に屋敷を構え、南側の桝形虎口に櫓門
、東西の土塁に石垣・練塀を築いた。1615年幕府の「一国一城令」以後、「安芸城」で
はなく「安芸土居」に改称したとされる。1760年東西の堀と石垣を改修、1800年土
居内部の改修が行われている。1887~1906年頃、五島家安芸屋敷を復元、その後、
資料館、美術館、神社が建てられ、現在、石垣、堀、土塁、堀切、井戸跡が残る。


【所感】標高39m、比高25mの独立した山に安芸城跡があり、南北に長い安芸平野が一
望出来る立地です。南から三ノ段・ニノ段・詰・北ノ段の順で並ぶ連郭式の城で、登城口は
安芸市書道美術館前。西側の安芸川は天然の水堀、南麓の安芸土居と呼ばれるエリアには、
水堀・土塁・石垣の桝形虎口に護られた五島家安芸屋敷、歴史民俗資料館・書道美術館も建
てられています。愛知県北西部から話が始まる大河ドラマ「功名が辻」では、山内一豊の家
臣として祖父江新右衛門(前田吟さん)・五島吉兵衛(武田鉄矢さん)が出てきますが、五
島吉兵衛の弟五島吉蔵為重(小倉久寛さん)が安芸五島家の初代になります。






水堀



追手門前の土橋





追手門の石垣




安芸土居東側の土塁



五島家安芸屋敷



毒井戸跡



五島家の先祖を祀る藤崎神社



安芸城跡の登城口



三ノ段





二ノ段



詰(主郭)虎口





詰(主郭)



北ノ段