出羽 秋田城
Akita castle

 秋田城跡調査事務所【秋田県秋田市寺内字焼山9−6】
秋田城跡出土品収蔵庫【秋田県秋田市寺内字大畑4−1】
     高清水公園【秋田県秋田市寺内字高野】
      護国神社【秋田県秋田市寺内大畑5−3】

【立地】平城
【別称】出羽柵

【国指定史跡】秋田城跡

【歴史】712年頃、中央政府が蝦夷〔政治、文化に於いて、日本やその支配下に入った地域への帰属
や同化を拒否していた集団〕制圧のために出羽〔山形県庄内地方〕に置いた軍事拠点“出羽柵〔いでは
のき〕”に始まる。733年勢力圏北進に伴い、出羽柵を秋田村高清水岡〔標高40m程〕へ移した。
760年頃、「秋田城」へ改名。蝦夷からの攻撃が次第に厳しくなり、780年政府は専任国司と軍兵
を派遣させ、防御を固めた。これより秋田城は秋田城介〔秋田城に置かれた出羽介のこと〕が常置され
、出羽北部を統治する国府〔政治、軍事、文化の中心地〕となる。現在も発掘調査が行われ、門、塀、
井戸、トイレなどが復元されている。

【所感】国道7号線臨海道路入口信号を東へ曲がり、県道56号線に入ります。1キロ程走った高清水
公園信号を南へ入り、坂を上った右手が高清水公園になります。公園内に在る護国神社南が、城郭の中
心となる政庁〔内郭〕が在った場所で、外郭東門はその東方の道から見える場所に復元されています。
城全体を土塀〔築地:ついじ〕で囲む外郭は広大なもので、復元された外郭東門はその名の通り、東の
端に位置します。時間の都合で外郭東門のみの訪城となりましたが、秋田の“始まり”に少し触れるこ
とが出来たような気がします。現在も調査が進められており、土器、漆紙文書、和同開珎銀銭、木簡な
どが出土しています。




正殿跡・政庁

 

北東建物跡・政庁〔写真:左〕東脇殿跡・政庁〔写真:右〕



復元 政庁東門と築地塀



城内東大路



復元 外郭東門と築地塀



復元 沼・鵜ノ木地区



平安時代に造られた井戸・鵜ノ木地区



奈良時代に造られた井戸・鵜ノ木地区

 

鵜ノ木地区の建物跡

 

 

復元 奈良時代の水洗トイレ・鵜ノ木地区