三河 雨山城
Ameyama castle

雨山城跡【愛知県岡崎市雨山町】

【立地】山城か
【別称】雨山砦

【歴史】1556年「雨山の戦い」の際に築かれた砦とされる。雨山領主阿知和修理定直は今川氏に叛
いて織田方に着き、義元は東三河の七将に命じて雨山城を攻撃した。奥平貞能はこれを聞いて、急ぎ雨
山城の救援に走り、8月3日「雨山合戦」となった。初め、先鋒の野田城主菅沼定村・定貴・定満3兄
弟を破って優勢であったが、後続の本多忠俊らに破れ、再び今川氏の配下となった。城主に奥平修理定
良の名もある。雨山城の場所は不明だが、地元の方の話では東アチワ〔雨山村古屋敷跡か〕の谷奥の山
上〔城山ノ入〕と云う。

【所感】雨山ダム・三和湖へ向かって県道382号線を東進すると、ダム駐車場の100m程手前右手
に雨山合戦跡の石碑、50m程手前の左上に雨山合戦戦病死者供養塔・宝筐印塔が在ります。城跡の場
所はハッキリしませんが、現地の方にお聞きしたところ、ナカシバ電工から県道382号線を100m
程西進した北側の谷奥で、杉の大木が2本在る山…砦レベルで特に何も無いと教えて頂きました。




雨山ダムから見た雨山古戦場と雨山城跡辺り

 

雨山合戦戦病死者供養塔と雨山合戦の看板〔写真:左〕雨山合戦跡の石碑〔写真:右〕



雨山古戦場