美濃 菩提山城
Bodaiyama castle


             菩提山城跡【岐阜県不破郡垂井町岩手】
竹中氏陣屋跡・岩手幼稚園・岩手小学校【岐阜県不破郡垂井町岩手619−2】

【立地】山城
【別称】岩手城・菩提城・菩提寺城

【町指定史跡】

【歴史】1544年美濃守護土岐頼芸が岩手四郎に宛てた書状に“菩提山城”の記述がある
ことから、この頃には既に城があったとされる。1558年竹中重元は岩手氏を滅ぼし、1
559年菩提山城を築城〔改修?〕したと云う。1560年重元没後、16歳の竹中半兵衛
重治が城主となる。1564年半兵衛は弟の竹中重矩と僅か十数人で、斎藤竜興の稲葉山城
を奪取。後、織田信長から数回、城の譲渡を申し入れられたが固辞し、再び竜興に城を返還
、近江の浅井長政に出仕した。1567年信長の美濃平定後、信長に仕え、秀吉の与力とな
った。1578年播磨国の「三木城攻め」の最中に発病し、向城の平山に至り、陣中で没し
た。息子の重門は菩提山城を廃し、南東麓に陣屋を築き、代々続いた。現在は山林となり、
曲輪、土塁、空堀、堀切などが残る。

【所感】登城道〔菩提山城跡ハイキングコース〕は幾つかありますが、私は白山神社から登
る道を選びました。登城口手前右手の場所〔特に駐車場の看板は無い〕に駐車、コンクリー
トの階段から山頂〔本曲輪〕まで1350mです。1100mの標柱が立つ白山神社本殿左
手からひたすら丸太段+山道を登ります。途中、林道を横切り→900mの標柱→岩崎神社
からのコースと合流〔510mの標柱〕→「これより菩提山城跡」の看板が立つ場所から遺
構〔土橋+竪堀〕が始まります。少し歩くと、道が左右に分かれますが、左は三の曲輪、右
は大手曲輪です。右の大手曲輪へ行けば、次に三の曲輪へ行けます。私が撮った順番は大手
曲輪→三の曲輪→出曲輪→腰曲輪→台所曲輪→西の曲輪→二の曲輪→本曲輪→腰曲輪の順。
本曲輪に縄張り図の看板はありますが、事前に用意して曲輪、空堀、竪堀を1つ1つ確認し
て行きましょう。撮っても分かりづらい遺構は載せていませんが、肉眼では確認出来てます
。特に面白いと思った場所は@出曲輪周辺、A本曲輪×二の曲輪間です。@出曲輪は三の曲
輪と大堀切で区切られた独立した曲輪で、北西側に腰曲輪を1つ持ち、南西側に横堀+畝状
堀+竪堀といった複雑で防御性の高い遺構が見られます。A台所曲輪から上った虎口→右の
L型空堀・左のI型空堀→馬出→左へ折れて本曲輪へ入る、この短いアプローチでも防御性
が高い点に面白さを感じます。




白山神社登城口









白山神社・登城道











登城道





登城道最初の土橋と竪堀



三の曲輪と大手曲輪の分岐点





大手曲輪



二の曲輪の切岸・大手曲輪側





三の曲輪





三の曲輪×出曲輪間の大堀切







出曲輪



出曲輪南西側の横堀と畝状堀



出曲輪から西へ落ちる竪堀



出曲輪西側の腰曲輪





台所曲輪



本曲輪の切岸・西の曲輪側



西の曲輪





西の曲輪奥の土塁



西の曲輪から北へ落ちる竪堀





二の曲輪



二の曲輪北側のL型空堀





虎口→馬出→本曲輪へのアプローチ



二の曲輪−本曲輪間の空堀





本曲輪東側の腰曲輪





本曲輪