河内 千早城
Chihaya castle

 千早城跡【大阪府南河内群千早赤阪村千早】
千早駐在所【大阪府南河内群千早赤阪村千早1033−1】

【立地】山城
【別称】楠木詰城・金剛山城・千葉屋敷・千剱破城・千葉城・茅屋城

【国指定史跡】千早城跡

【歴史】1332年上赤坂城の南方4キロ程、金剛山〔標高1120m〕の西中腹〔標高6
60m〕に楠木正成(?〜1336年)が築いた山城である。赤阪に生まれた正成は、13
22年紀伊国有田郡保田荘司湯浅氏が鎌倉幕府に抗した際、北条高時の命でこれを鎮圧。軍
功により湯浅氏の所領を与えられた。本拠である赤阪で産出される辰砂(水銀の原料)の採
掘権や販売権を有していたとも云われ、機内西部で商業活動を営む中で醍醐寺の僧道祐・文
観を介して後醍醐天皇(1288〜1339年)との関係を持ち始めたとされる。1318
年後醍醐天皇は花園天皇の譲位を受けて践祚。1321年後醍醐天皇の新政が始まり、幕府
の存在が理想とする政治実現に対して大きな障害となり、いよいよ倒幕を具象化して行く。
1324年天皇の討幕計画が六波羅探題に漏れ、天皇の召集で上洛した土岐頼貞・多治見国
長らは斬られ、日野資朝・日野俊基は捕らえられた。天皇の倒幕計画はその後も進められ、
1330年には自ら東大寺・興福寺・延暦寺に行幸し、僧兵との連携を深めた。1331年
再び討幕計画が六波羅探題に漏れる。幕府は僧侶の弘真・円観・日野俊基を捕らえて鎌倉に
送り、強硬態度を示し始めた。8月天皇はやむなく神器を奉じて奈良、ついで笠置へ還幸し
、楠木正成も赤坂城に挙兵。籠城して鎌倉幕府軍に奇策で応戦した。しかし、多勢に無勢、
正成は焼死したと見せかけて赤坂城を脱出。9月後醍醐天皇方の兵が整わない状態で笠置は
落城。天皇は捕らえられ、六波羅探題によって幽閉された。1332年3月後醍醐天皇は隠
岐国に配流され、日野資朝・日野俊基は斬られ、皇子尊良親王・尊澄法親王も配流となる。
十津川の奥に姿を隠していた護良親王(尊雲)は、機内の国人らに討幕の挙兵を呼びかけ、
後醍醐天皇も討幕の綸旨を発した。1332年冬、楠木正成は千早城を築いて入り、133
3年2月2日〜5月10日籠城戦によって鎌倉幕府の大軍を釘付けにした。1333年正月
赤松則村(円心)が播磨国に挙兵し、討幕の軍が次々に起こり始めた。2月後醍醐天皇は隠
岐からの脱出に成功し、名和長年らに迎えられて伯耆国船上山に拠った。天皇を討つ為、鎌
倉から足利高氏(尊氏)が派遣されるが、密かに討幕の綸旨を受けていた高氏は、5月赤松
円心・千種忠顕らと共に六波羅探題を落とし、新田義貞は鎌倉を攻略、北条高時を自刃させ
、5月22日鎌倉幕府は滅亡した。千早城主は楠木正成の後、正行→正儀→正勝と続き、1
392年正月、畠山基国に攻められて落城した。1934年国指定史跡、2006年日本1
00名城に選定される。現在は神社や施設などが築かれ、曲輪、土塁、堀切、竪堀が残る。

【所感】この辺りは金剛山に登るハイカーが多く、千早城跡の登城口も登山口の一つで、有
料駐車場が設けられています。先ず、千早駐在所前の登城口から『四の郭』を目指して56
0段の石段を登ります。『四の郭』は千早城跡で最も広い曲輪で、千早城趾の看板、千早神
社の石碑、売店跡の建物が建っています。奥の鳥居を潜ると、細長い曲輪→石段が窪んだ堀
切跡、石段を登って社務所と城阯碑がある『三の郭』→『二の郭』の千早神社に着きます。
千早神社に本丸跡の看板が置いてありますが、一般的には神社背後の頂が主郭の櫓台〔楠木
権現跡〕、その西側の平坦地が『主郭』とされます。主郭南西に『東屋の曲輪』、その下に
『茶屋の段』と呼ばれる二段の広い曲輪があります。『東屋の曲輪』から東へ下って行くと
、金剛山の登山道『千早本道ルート』に合流し、少し登った左手に楠木正儀の墓があります
。千早城跡は遺構の大半が曲輪…という寂しさはありますが、鎌倉時代に終止符を打った楠
木正成の城という歴史背景から『日本100名城』に選定されていると感じます。






登城口の石段・千早駐在所前











登城道



四の郭







四の郭から続く長い曲輪



四の郭−三の郭間の堀切跡





三の郭へ上がる石段







城阯碑や社務所が建つ三の郭



三の郭→二の郭へ上がる石段









千早神社が建つ二の郭



二の郭から主郭北側の腰曲輪へ向かう道



主郭北側の腰曲輪



主郭の櫓台とも言われる頂・楠木権現跡





主郭の櫓台とも言われる楠木権現跡の石垣



主郭



主郭西側の東屋の曲輪







主郭や二の郭から茶屋の段へ向かう道





『茶屋の段』上段・大阪府立存道館





『茶屋の段』下段・武館









東屋の曲輪から楠木正儀の墓へ行く道





楠木正儀の墓