尾張 長嘯子屋敷
Choshoshi residence

   常養寺【愛知県名古屋市中村区中村町木下屋敷47】
  中村公園【愛知県名古屋市中村区中村町茶ノ木25】
名古屋競輪場【愛知県名古屋市中村区中村町高畑68】


【立地】平地
【別称】木下長嘯子宅

【歴史】1569年生まれの木下勝俊〔長嘯子〕は、北政所の兄木下家定の嫡男で、弟に利
房・延俊・小早川秀秋がいる。父と共に秀吉に仕え、1589年播磨国龍野城主、1594
年若狭国小浜8万石を領した。1600年「関ヶ原の戦い」の前哨戦「伏見城攻防戦」で、
鳥居元忠と共に守備を任されたが、途中で逃亡し、所領を没収された。その後、剃髪して長
嘯子を称し、京都東山に隠居。歌文に優れ、多くの著書で歌集「挙白集」は名高い。場所は
中村公園北の名古屋競輪場辺りで、遺構は無い。


【所感】中村公園の東端、常養寺西側入口に木下長嘯子邸跡の石碑が移されています。小出
秀政邸跡の石碑と同じく、逆光の向きで立っているので、写真が撮りにくい石碑です。




木下長嘯子邸址の石碑・木下長嘯子宅跡の看板