三河 大通寺山陣所
Daitsujiyama camp

大通寺山陣所跡【愛知県新城市長篠字大通寺山】
    大通寺【愛知県新城市長篠字市場51】

【立地】丘地
【別称】大通寺山砦

【歴史】1575年「長篠、設楽ヶ原の戦い」の際、長篠城の北600m程の大通寺山〔標
高110m、比高50m〕に馬場信房〔信春〕、武田信豊、小山田昌行ら2000人が布陣
した陣所とされる。5月19日武田勝頼は軍議で決戦を決断するが、これを嘆き悲しんだ武
田の宿将馬場信房、山縣昌景、内藤昌豊、土屋昌次らは大通寺に集まり、敗戦を覚悟して馬
柄勺で別れの杯を酌み交わしたという清水の湧出井戸〔大通寺盃井〕が大通寺裏手に在る。
現在は山林となり、平坦地が在る。


【所感】国道151号線、国道257号線が交差する長篠城址信号T字路に大通寺が在りま
す。大通寺と城藪神社間の道から裏手に周ると、大通寺盃井が在り、墓地を経て、史跡探訪
コースの案内板に従って山を登ると、最高所の平坦地に大通寺山陣地の看板が在ります。


 

大通寺〔写真:左〕城藪神社〔写真:右〕

 

大通寺盃井碑〔写真:左〕大通寺盃井〔写真:右〕

 

杯井歌碑〔写真:左〕大通寺山陣地の看板・大通寺山陣所跡〔写真:右〕