三河 土井城
Doi castle

 土井城跡【愛知県岡崎市土井町城屋敷・蔵屋敷】
土井居館跡【愛知県岡崎市土井町西番城】
 社口司社【愛知県岡崎市土井町蔵屋敷44】

【立地】平城

【歴史】本多定正→定吉−正経を経て、1497年松平長親に仕えた本多彦三郎秀清は土井を恩給され
、1498年没。清重は1516年に没して坂崎の円行寺に葬られ、その子信重は松平信忠・清康に仕
えて、土井に城を築いて住んだと云う。1529年吉田城の牧野伝蔵を攻めた時に戦死して円行寺へ葬
られた。1527年本多広孝は土井城に生まれ、家康より15歳年上で、父信重が亡くなった時は3歳
であったが、相続して土井城に住み、広忠に仕え、広孝を称した。その後、家康に仕え、1561年「
東条城攻め」や1563年「三河一向一揆」、1564年「田原城攻め」でも戦功を挙げ、田原へ移り
、廃城となる。南東600mの地に本多氏の居館とされる地が在る。現在は宅地に変わり、遺構は無い
。社口司社に土井氏一族發蹟地碑が立つ。


【所感】県道479号線、県道293号線が交差する土井町西信号西方の誓法寺西側一帯が城屋敷にな
ります。字蔵屋敷西端〔ハイステージ城屋敷横〕に本多彦八郎秀清公の墓が在ります。以前は「土井城
跡」の木製看板が有りましたが、今は無く、逆に整備されて横に無名の宝篋印塔が6体程並んでました
。そのうちしっかり説明が入った看板が設置されそうな気がしますが、どうなるのでしょうか。居館跡
とされる地は市営住宅土井団地東側の住宅地になります。社口司社・土井町公民館の入口横に「土井氏
一族發蹟地」の石碑が立っています。土井氏は初め「早乙女氏」を名乗り、土井郷へ移って「土井氏」
を称しました。土井利勝もこの地に住み、家康に仕え、秀忠の子守役となりました。


 

土井城跡辺り・城屋敷・藤ノ木甲〔写真:左〕土井居館跡辺り・西番城〔写真:右〕



土井氏一族發蹟地の石碑・社口司社



本多彦三郎秀清公の墓