三河 福釜城
Fukama castle

福釜城跡【愛知県安城市福釜町蔵前】
 宝泉院【愛知県安城市福釜町西天19】

【立地】平城

【福釜松平家】親盛 − 親次 − 親俊 − 康親 − 康盛 … 康永

【歴史】松平宗家5代長親が安祥城の支城として築き、1515年長親の次男親盛が13歳で福釜松平
氏の祖となる。親盛は東福釜村・東端村を知行したが、長親の実弟親光は西福釜に分家して、泉村・榎
前村・赤松村・西端村を知行した。2代親次は松平宗家7代清康に仕え、1530年「宇利城攻め」で
討死。3代親俊は松平宗家8代広忠、9代家康に仕え、1575年「二俣城攻め」の際、陣中で発病し
、福釜で亡くなる。4代康親は、1590年家康関東移封に伴い、下総国・武蔵国の一部を領し、15
96年大番頭になるが、1600年「関ヶ原の戦い」の後、福釜へ帰り、1100石で陣屋を構えて旗
本になる。下って、8代康永の時、嫡子が無く断絶する。現在は民家となり、宝泉院西50mに福釜松
平氏3代の墓が在る。


【所感】県道295号線福釜町西天信号交差点の北西角に菩提寺・宝泉院、南西角に福釜城主松平家栄
地の石碑が立っています。同じ十四松平家でも藤井城や桜井城のような石碑が無い為、この石碑が福釜
城跡を示すものになります。福釜町西天交差点から西へ100m程進んだ左手の墓地に福釜松平家三代
〔親盛・親次・親俊〕の墓が在ります。福釜城跡の祠は福釜町西天信号交差点から南へ500m進んだ
福釜集落最後の脇道を右へ入り、50m程進んだ左手の民家庭です。





福釜城跡に建つ祠



福釜松平家の菩提寺 宝泉院



福釜城主松平家栄地の石碑・宝泉院南側



福釜松平家三代の墓