遠江 二俣城
Futamata castle

二俣城跡・二俣公園【静岡県浜松市天竜区二俣町二俣】
      清瀧寺【静岡県浜松市天竜区二俣町二俣1405 】
静岡新聞社天竜支局【静岡県浜松市天竜区二俣町二俣1957 】

【立地】平山城
【別称】蜷原城・二俣古城・二股城

【国指定史跡】二俣城跡及び鳥羽山城跡

【歴史】永正年間(1504〜1521年)末期、今川方の二俣昌長が城主であったと云う
。享禄年間(1528〜1532年)末期に松井貞宗、1559年松井宗信、1560年「
桶狭間の戦い」の後、松井宗垣が入る。今川氏衰退により、1568年家康の遠江進出で徳
川方の城となり、鵜殿氏長が城番に任じられる。1572年「三方ヶ原の戦い」の時、武田
勝頼の攻撃で井戸櫓を壊され、断水で落城。1575年「長篠の戦い」で家康+信長連合軍
は武田勝頼軍を破り、再び、二俣城を攻撃。兵糧攻めの末、武田軍依田信守、信蕃父子を倒
して奪回。大久保忠世が入る。1579年家康の正室築山殿、長男信康が武田方と共謀して
謀叛の疑いありと、信長より2人の処分を迫られる。築山殿は佐鳴湖東岸で討たれ、信康は
二俣城で切腹となった。1590年豊臣方城主堀尾宗光が入り、1600年廃城となる。現
在は天守台、曲輪、石垣、堀切、土塁が残る。

【所感】国道152号線を北上し、天竜川に架かる鹿島橋を渡り、鳥羽山トンネルを潜り、
250m程進んだ信号交差点〔静岡新聞社天竜支局が在る交差点〕を左へ入ります。道なり
に50m程進んだ左の坂道を上ると、“二俣城址の石碑”近くに5、6台の駐車場が在りま
す。右側眼下に天竜川を見ながら、城址に向かって歩いて行くと、センサーが働いて城の説
明をしてくれます。北曲輪−本丸間の堀切に着きますが、縄張りは北から北曲輪〔旭ヶ丘神
社〕+本丸〔天守台〕+二の丸〔城山稲荷神社〕+蔵屋敷+南曲輪、本丸の西に西曲輪+水
の手曲輪と並びます。各曲輪やそれらを仕切る堀切は良好な状態で残り、足場も良いので、
誰でも遺構が確認出来ます。城跡北麓の清瀧寺に井戸櫓、松平〔岡崎〕信康の廟所が在りま
す。遠江国は家康が初めて攻め取った領国ですが、正室築山殿、長男信康を失い、三方ヶ原
の戦いで大敗した地。“得たもの”も“失ったもの”もあります。





堀切



二俣城跡入口



本丸−北曲輪間の堀切





北曲輪・旭ヶ丘神社











本丸北西端の虎口






本丸東端の土塁



天守台







本丸





本丸南東端の虎口



二の丸



二の丸東端の土塁



城山稲荷神社・二の丸









二の丸南東端の虎口





二の曲輪南端の土塁





蔵屋敷−二の曲輪間の堀切



蔵屋敷





蔵屋敷の土塁・石塁



蔵屋敷−南曲輪間の堀切



南曲輪



西曲輪





水の手曲輪



水の手曲輪付近から見た天竜川



復興 二俣城井戸櫓・清龍寺



清龍寺





信康廟・清龍寺



大久保忠世らの墓・信康廟・清龍寺