三河 岩略寺城
Ganryakuji castle

岩略寺城跡【愛知県豊川市長沢町御城山】

【立地】山城
【別称】長沢山城・桜ヶ城

【市指定史跡】

【長沢松平家】親則 ― 親益 ― 親清 − 勝宗 − 一忠 − 親広 − 政忠 − 康忠 − 康直 = 松千代 = 忠輝

【歴史】城山〔標高174m、比高100m〕に築かれた山城である。文明年間(1469〜1486
年)、今川氏の一族で富田左近義増の子四郎義村の築城とされ、乙葉村を長沢村に改称してこの城に住
み、長沢四郎を称したと云う。1458年長沢松平親則が築いた長沢城より後の時期となる為、結果、
築城年は不明。1561年松平元康の三河平定の際、長沢城の詰城として使われる。1590年家康関
東移封に伴い、廃城になったとされる。現在は山林となり、曲輪、井戸跡、土塁、堀、掘切が残る。

【所感】東名高速道路音羽蒲郡ICを出て国道1号線音羽蒲郡インター信号を右折します。次の国道1
号線長沢信号を左折し、真っ直ぐ道なりに山へ入って行き、S字カーブを登り切った場所に城址碑・縄
張り図・城跡入口が在ります。車で登る途中、猪避けの鉄製の門が有りますが、自分で開けて閉じれば
OKです。城郭内へ入ると、三日月堀・井戸・土塁・本曲輪・二ノ曲輪・南曲輪・腰曲輪・東曲輪に標
柱が立ち、道も整備されているので、およその遺構を見ることが出来ます。城郭中央部より北・北東・
東に尾根が延び、それぞれ尾根上に小さな曲輪・堀切・土塁などが設けられ、守りを固めています。嘗
て大手口と言われた北尾根の枡形は搦手口となり、東尾根の北側を通って北東尾根の東側から入る場所
が大手口のようです。この辺りは次回の訪城で確認してみたいと思います。城郭西端に堀切、車を止め
た縄張り図・城址碑辺りも城郭南端の堀切だそうです。本曲輪北西の谷に石垣と井戸跡が在ります。現
地の方にお話を聞くと、この周辺は現在も猪や鹿の被害が多く、石垣は猪垣〔石鹿除〕、井戸跡は猪穴
〔落とし穴〕の可能性が高いようです。他にも井戸跡が4ヶ所在りますが、これらも猪穴の可能性が高
いようです。確かに穴の側面や底を見ると、大木の根っこを引き抜いたような穴で、崩れそうな脆さを
感じます。但し、本曲輪東側の通路に在る穴だけは側面がしっかりしており、他の城跡で見る井戸跡と
差異は無いように感じます。標柱が立つ三日月堀は本曲輪北側の切岸下に在ります。幅も深さも無い堀
がどうして切岸側にあるのか。思いつく例として、松平城跡・十一面観音堂裏の堀も三の曲輪北側の切
岸下に在ります。実際に堀で狭くなった通路を歩いて見ると、切岸から離れ、上の曲輪から見易くなる
。絶壁のような切岸に対し、敵を離して見易くする工夫ではないだろうか。あくまでも個人的な見解で
すが…。城跡東麓の長沢町向屋敷は家中屋敷が在ったとされる場所で、井戸跡、道端に宝筐印塔が有り
、大手道もこの辺りから始まります。また、長沢町デンスは「殿主」のことを指し、領主の館が在った
とされる場所です。いつの時代の領主か分かりませんが、普段は農業経営者、有事は百姓らに武器をと
らせて戦う半士半農であったとされます。


 

城郭南端の堀切跡・岩略寺城要図・城址碑・駐車場〔写真:左〕腰曲輪西側の堀切〔写真:右〕

 

城郭西端の堀切〔写真:左〕腰曲輪〔写真:右〕

 

南曲輪〔写真:左〕三日月堀〔写真:右〕

 

城郭北尾根の搦手口〔写真:左〕城郭北東尾根の大手口〔写真:右〕

 

二の曲輪・東曲輪〔写真:左〕城郭東尾根端の三の曲輪〔写真:右〕


 

本曲輪南端の土塁〔写真:左〕本曲輪〔写真:右〕



本曲輪内に横たわる土塁

 

本曲輪東端の内枡形虎口〔写真:左〕“長沢の山城跡”の碑〔写真:右〕

 

本曲輪北西の谷に連なる長い猪垣・鹿垣〔写真:左〕猪垣横の井戸跡・猪穴か〔写真:右〕

 

東曲輪南の崖に在る井戸跡〔写真:左〕本曲輪東の井戸跡〔写真:右〕

 

本曲輪北西端の井戸跡〔写真:左〕腰曲輪北端の井戸跡〔写真:右〕

 

城跡東麓の井戸跡・長沢町向屋敷〔写真:左〕城跡東麓の道端に在る宝筐印塔・誰のものか・長沢町向屋敷〔写真:右〕