美濃 岐阜城
Gifu castle

  岐阜城天主閣【岐阜県岐阜市金華山天守閣18】
    岐阜公園【岐阜県岐阜市大宮町1丁目46】
岐阜市歴史博物館【岐阜県岐阜市千畳敷下字大道西18−1】
  岐阜城資料館【岐阜県岐阜市杉ヶ洞24】

【立地】山城
【別称】稲葉山城・金華山城・井ノ口城
【天守の構成・形式】独立式望楼型天守

【国指定史跡】岐阜城跡
【市指定史跡】

【歴史】稲葉山〔標高329m〕山頂に築かれ、築城者は、1202年二階堂行政、1509年齋藤氏
の2説がある。1538年齋藤家を継ぐ長井規秀〔齋藤道三〕が入り、1542年土岐氏から美濃国を
奪取。1556年道三は「長良川の戦い」で息子竜興に討たれる。1567年信長が攻略し、「天下布
武」を旗印に安土城が出来るまでの拠点となった。この時期、井ノ口から岐阜へ改名。1575年嫡男
信忠が入り、1582年「本能寺の変」で信長没後、三男信孝、その子秀信が入る。1600年「関ヶ
原の戦い」で落城、廃城。現在は岐阜公園、金華山に変わり、曲輪、井戸跡、石垣、掘切などが残る。
1956年天守復興、2011年国史跡に指定されている。

【所感】国史跡岐阜城跡は山麓の居館エリア、金華山〔山上の城郭+砦の可能性がある30余の地〕エ
リアから成っています。山麓の居館エリアは“織田信長居館跡”と呼ばれる場所で、大きく4つエリア
に分かれています。現在、A地区〔岩盤を背景にした庭園〕・B地区〔山水画の世界が広がる館の最奥
〕・C地区〔館の中心部分の姿が見えてきた〕は発掘調査中で中に入ることは出来ませんが、居館入口
エリアは歩いて土塁、石積みを見ることが出来ます。山麓から金華山ロープウェイに乗り、山上の城郭
へ向います。“金華山リス村”は「煙硝蔵跡」、“ろおぶ亭”から登る“展望レストラン”は「太鼓櫓
跡」とされ、“天下第一の門”を潜って20m程進んだ「上格子門跡」が「一の門」の場所になります
。一の門から続く平坦な道は「馬場」或いは「矢場」と言われており、“展望レストラン”から“二の
門”へ向かう道の“松風橋”下に「堀切」が在ります。「二の門(二の丸門跡)」の場所には冠木門が
築かれ、一段高くなった広場は「二の丸」とも「下台所」と呼ばれ、更に進んだ岐阜地方気象台金華山
分室の場所が「上台所」になります。この分室横から軍用井戸「金銘水」へ降ります。岐阜城資料館と
二の丸を結ぶ道沿いにも軍用井戸「本丸井戸」が在り、その背後上には石垣も確認出来ます。天守内は
博物館になっており、最上階からは長良川・濃尾平野が一望出来ます。山麓に目をやると、足が竦むよ
うな高さに驚きますが、暫く遠くを見ていると、天下を獲ったような気分に変わってきます。岐阜城跡
は岐阜市歴史博物館も含めて多くの観光客訪れる場所で、半日ゆっくり楽しめる場所です。







三重四階 復興天守 石垣からの高さ:17.7m


 

天守から見た岐阜城資料館・蔵跡〔写真:左〕天守から見た岐阜地方気象台金華山分室・上台所跡〔写真:右〕

 

裏門跡〔写真:左〕二の丸橋から見た竪堀〔写真:右〕

 

本丸井戸跡・貯水用井戸跡〔写真:左〕金銘水・貯水用井戸跡〔写真:右〕

 

上台所跡・岐阜地方気象台金華山分室〔写真:左〕切通し・堀切〔写真:右〕

 

天狗岩と刀利天狗の祠〔写真:左〕松風橋と七間塀〔写真:右〕

 

下台所跡・二の丸〔写真:左〕二の門跡・二の丸門跡〔写真:右〕

 

馬場跡〔写真:左〕上ヶ格子門跡・一の門〔写真:右〕

 

模擬 天下一の門〔写真:左〕太鼓櫓跡・展望レストラン〔写真:右〕

 

煙硝蔵跡・リス村〔写真:左〕山麓の井戸跡・ロープウェイ山麓駅近く・岐阜公園〔写真:右〕

 

織田信長居館跡入口の冠木門〔写真:左〕織田信長坐像・岐阜城天守内〔写真:右〕

 

入角と出角〔写真:左〕下層遺構〔写真:右〕



織田信長入城以前と思われる石垣遺構・下層遺構









織田信長居館跡の巨石・土塁状遺構



信長の庭・岐阜公園