三河 五井城
Goi castle

五井城跡【愛知県蒲郡市五井町中郷】
 長泉寺【愛知県蒲郡市五井町岡海道76】
 八幡宮【愛知県蒲郡市五井町岡海道80】
 真清寺【愛知県蒲郡市五井町中郷88】

【立地】丘城
【別称】五井村古城

【五井松平家】長勝〔元心〕― 信長 ― 忠次 ― 景忠 ― 伊昌 ― 忠実 …

【歴史】文治年間(1185〜1190年)、新宮蔵人行家(源行家)〔〜1186年〕が標高42m
、比高2mの丘陵裾に築城し、戦国時代初期は鵜殿氏の居城であったと云う。1465年松平宗家3代
信の子松平弥三郎正則(元芳)〔〜1525年5月21日〕が、額田郡一揆との戦いで深溝の大場〔大
庭〕次郎左衛門を討ち取る。正則には3人の子があり、光則は父正則とともに岩津に居住、忠景は深溝
松平家の祖に、弥九郎長勝(元心)〔1481〜1562年7月26日〕は五井城へ入って五井松平家
の祖となる。1525年長勝が没し、2代弥九郎信長〔1503〜1551年〕は松平宗家8代広忠に
仕え、3代外記忠次〔1521〜1547年〕は、1540年織田信秀の「安祥城攻め」で松平宗家4
代親忠の子長家に加勢した戦功により、岡崎の井田、羽根を与えられる。4代弥九郎景忠〔1541〜
1593年〕は、1560年「桶狭間の戦い」、1568年「井伊谷城攻め」、1570年「姉川の戦
い」、1573年「三方ヶ原の戦い」、1575年「長篠、設楽ヶ原の戦い」、1584年「小牧、長
久手の戦い」などに参戦。5代外記伊昌〔1560〜1601年〕は、1590年家康関東移封に伴い
、下総国印旛郡へ移り、2000石を領した。6代外記忠実〔1585〜1652年〕以降、交代寄合
衆として明治まで続く。現在は畑に〔八幡社南辺り〕変わり、1192年三河国初代守護に任ぜられた
安藤藤九郎盛長の五輪塔、五井松平家五代の墓所が長泉寺本堂の裏手に在る。


【所感】国道247号線市民病院北信号を500m程北上し、突き当たり手前の辻を右へ入ると、長泉
寺、五井児童遊園地、八幡宮と御宮池が在ります。御宮池南側の畑地が城跡とされます。長泉寺本堂左
奥に安藤藤九郎盛長の墓、墓地の北に五井松平家初代〜5代の墓が在ります。



 

五井城跡辺り〔写真:左〕真清寺・五井城跡の南〔写真:右〕


 

五井児童遊園地・八幡宮前〔写真:左〕堀跡とされる御宮池・八幡宮前〔写真:右〕

 

八幡宮〔写真:左〕長泉寺〔写真:右〕


 

三河国守護初代安藤藤九郎盛長の五輪塔・長泉寺〔写真:左〕五井松平家五代の墓・長泉寺〔写真:右〕