美濃 郡上八幡城
Gujohachiman castle

     郡上八幡城【岐阜県郡上市八幡町柳町659】
      岸剣神社【岐阜県郡上市八幡町柳町438】
     あさの旅館【岐阜県郡上市八幡町大手町817】
郡上八幡城下町プラザ【岐阜県郡上市八幡町柳町69】
       安養寺【岐阜県郡上市八幡町柳町217】

【立地】山城
【別称】積翠城・群城・虞城
【天守の構成・形式】複合式層塔型天守

【県指定史跡】

【歴史】1220~1232年頃、東胤行が山田荘の新補地頭に任命され、郡上に入ったこ
とが始まりとされる。その子行氏が阿千葉城を築いて城主となり、時常を経て、氏村が篠脇
城を築いて城主となった。更に常顕・師氏と続き、1409年益之が赤谷山に城〔古城〕を
築き、郡上郡東部の支配を固めた。1541年益之の五男常緑の孫常慶が、赤谷山の東側の
峯に東殿山城〔新城〕を築く。1559年郡上の支配を巡り、東氏と遠藤氏が対立〔赤谷山
城の戦い〕、東常慶の長子常尭と遠藤胤緑・盛数兄弟が戦った。1559年8月1日東常慶
と常尭は八朔の祝いで遠藤胤緑を赤谷山城へ呼び寄せ、鉄砲で暗殺する事件が起きた。8月
14日林広院山城の遠藤盛数は、兄の弔い合戦と称して胤緑の子胤俊とともに1000の軍
勢で赤谷山城へ向い、対岸の八幡山に布陣。赤谷山城は東常慶・常尭らが立て籠もった。遠
藤盛数軍は堀越山や安久田山、搦め手から激しく攻撃。激戦は10日に及んだが、24日に
は城に火がかけられ落城した。常慶は戦死、その子常尭は白川へ逃れた。この戦で勝利した
遠藤盛数は赤谷山城を居城とはせず、陣を張った八幡山に城を築いた。遠藤盛数と兄胤緑の
子胤俊は美濃の斉藤竜興に属し、1561年織田信長の西美濃侵入に際して森部の戦いで奮
戦し、これを退けた。1562年盛数は岐阜で病没、その子慶隆が13歳で継ぐ。1583
年岐阜城主織田信孝が柴田勝家と謀って豊臣秀吉に叛旗を翻した時、遠藤慶隆は信孝に味方
した為、秀吉によって美濃国小原1万3000石へ移された。1588年秀吉は稲葉一鉄の
子貞通が4万石で郡上八幡城主となるが、1600年「関ヶ原の戦い」の後、豊後国臼杵5
万石へ転じ、遠藤慶隆が郡上八幡城に復して2万7000石を領した。1632年慶利を経
て、1646年常友が継ぎ、弟常照に2000石、常紀に1000石を分知して2万400
0石となる。1667年幕府の許可を得て、城の大修築・城下の拡張整備を行う。1676
年常春の後、1690年4歳の常久が襲封、嫡子無く没して藩領は収公されたが、遠藤氏の
先祖の忠功により、弟胤親が常陸・下野国内1万石へ移った。1692年常陸国笠間から井
上正任が5万石で入封。1693年正岑が襲封、弟正長に3000石を分知、1697年丹
波石亀山に移封となった。替わって出羽国上山から金森頼旹が3万9000石で入る。17
36年に襲封した孫の頼錦は宝暦騒動を引き起こし、領地没収・御家断絶となる。1758
年丹波国宮津から譜代の名門青山幸道が入り、郡上郡と越前大野・南条・丹生3郡で4万8
000石を領した。その後、1775年幸完〔若年寄〕-1808年幸孝〔寺社奉行〕-1
815年幸寛-1832年幸礼-1838年幸哉〔寺社奉行〕-1863年幸宜と続き、明
治を迎える。1933年模擬天守、櫓、塀が復興され、曲輪、石垣、堀切、井戸跡が残る。

【所感】県道319号線沿いのあさの旅館前に大手門跡の看板が在ります。この交差点から
郡上八幡城下町プラザ北側の道を安養寺方面へ進むと、正面に「史跡八幡城登口」石碑が在
ります。石碑右手の坂道を上ると、左手に最初の駐車場、右手の城山公園に土霊水・山内一
豊と妻の像、その奥に嘗て本丸だった岸剣神社が在ります。銅像の前に立って見上げると、
天守が小さく見えます。城山公園を右折し、一方通行の曲りくねった細道を登り切ると、石
垣郡を過ぎた右手に駐車場が在ります。この駐車場は城の背後に続く尾根とを遮断する堀切
でもあります。山頂の地形に合わせて石積みがされており、これだけでも満足しますし、も
し建物が無かったら、天空の城「竹田城跡」のような感じになっていたかも知れません。昭
和8年大垣城を参考に模擬天守が建てられ、それと合わせて隅櫓や門、塀も建ち、城の雰囲
気を出しています。天守からの眺めは大変良く、西側に城下の町並み、南側は桜之丸と清流
吉田川、東側も吉田川と郡上の町が見えます。模擬天守ではありますが、麓から見ると、天
を突き刺すように山上に建っているので、カッコ良く、登る前からワクワクしてきます。









四重五階 木造復興天守 石垣からの高さ:17.78m・桜之丸




天守から見た桜之丸





復興城門



復興された城門と塀と隅櫓



桜之丸南側の腰曲輪



桜之丸南西側の腰曲輪



桜之丸南西側の腰曲輪を支える石垣



桜之丸西側下の石垣



松之丸入口の二重櫓



松之丸





松之丸を支える石垣

 

首洗い井戸跡・掘切〔写真:左〕堀切〔写真:右〕

 

「からめ手の戦い」の看板・搦め手〔写真:左〕史跡 八幡城 大手門跡の看板〔写真:右〕



本丸・岸剣神社



二の郭



「山内一豊と妻の像」と天守・城山公園



土霊水・城山公園