武蔵 八王子城
Hachioji castle

       八王子城跡【東京都八王子市元八王子町3丁目】
八王子城跡ガイダンス施設【東京都八王子市元八王子町3丁目2664−2】
  史跡八王子城跡管理棟【東京都八王子市元八王子町3丁目2664−2】


【立地】山城

【国指定史跡】八王子城跡

【歴史】築城年は定かではない。小田原を本拠とする北条氏康の三男氏照が築いた山城であ
る。一説には1578年頃本格的に築城が始まり、1584〜1587年未完成の状態で滝
山城から移転。1588年豊臣秀吉との対立から守備固めを行ったとされる。1590年北
条氏照と主力部隊は八王子城から小田原城へ入り、籠城。八王子城は横地吉信・狩野一庵・
金子家重ら武将、農民・職人・山伏・妻子らが籠城した。6月23日秀吉の命で前田利家・
上杉景勝を総大将とする真田昌幸・直江兼続ら北国勢が八王子城へ侵攻。横地吉信らもよく
防戦したが、わずか一日で落城。横地吉信と敗兵は檜原城に立て籠もったが、こちらも間も
なく陥落した。小田原城は豊臣20万の軍勢に囲まれ、7月5日開城。北条氏政・氏照は切
腹。氏直は高野山に入り、小田原北条氏は滅亡した。景信山〔関東山地〕の東方に位置し、
要害地区・居館地区・太鼓曲輪地区から構成される巨大城郭は、1951年国史跡に指定さ
れる。1990年御主殿地区の石垣・通路・古道などが整備され、2006年日本100名
城に選定された。現在は山林となり、曲輪、堀切、石垣、井戸跡、竪堀が残る。

【所感】駐車場は八王子城跡ガイダンス施設の隣りに八王子城跡見学者専用駐車場が有りま
す。史跡八王子城跡管理棟辺りが御主殿方面と山城方面の分岐点になりますが、私は本丸・
詰城→御主殿跡→北条氏照墓所の順で回りました。登城口の鳥居から案内板に従って八王子
神社を目指します。2つ目の鳥居を潜ると、登城道に沿って馬蹄段〔小曲輪〕が並び、五合
目が金子家重が守備した金子曲輪→八合目の柵門跡→九合目の右が高丸、頂上が中の曲輪に
なります。中の曲輪は、狩野一庵が守備した小宮曲輪と中山家範が守備した松木曲輪に挟ま
れた場所で、八王子神社と合わせて二段になっており、神社背後が横地吉信が守備した本丸
です。再び八王子神社へ戻り、次に詰城(富士見台方面)を目指します。松木曲輪の背後か
ら坎井を過ぎ、道が左へ下る場所があります。右の作業道の先に無名曲輪、更に左へ下って
富士見台方面へ進むと、巨大な馬冷の堀切が有り、これが無名曲輪の西側に位置します。更
に2つのピークを越え、石が散在する坂を登り切ると詰城、西側に大堀切が有ります。私は
ここでUターンして御主殿跡の居館地区へ向いました。長い尾根上に堀切が並ぶ太鼓曲輪は
体力が残っておらず、次回に訪ねることにし、最後、北条氏照の墓で終わりました。お勧め
の遺構は2つの大堀切と復元された御主殿です。





八王子城跡碑・八王子城跡バス停ロータリー



北条氏照の墓



要害地区の登城口・1つ目の鳥居



1つ目の曲がり角



2つ目の鳥居



馬蹄段の一つ



金子曲輪・五合目



登城道・七合目



柵門跡・八合目



登城道・九合目



登城道・中の曲輪手前





中の曲輪





八王子神社



小宮曲輪



『← 本丸 小宮曲輪 →』の標柱





本丸〔標高460m〕



松木曲輪



『詰城』の標柱・トイレの横



坎井



『八王子神社・富士見台』の標柱





無名曲輪・作業道の先



『八王子神社・富士見台』の標柱





馬冷の堀切



馬冷の堀切南側の竪堀







詰城へ向かう登城道





詰城・伝天守跡〔標高478m〕



詰め城東側の曲輪・大堀切へ下りる道





詰め城西側の大堀切



あしだ曲輪・居館地区



大手門跡北側の土塁



大手門跡



橋の下の竪堀・大手門跡の西



御主殿跡へ向かう古道





御主殿跡へ渡る曳橋





櫓門の礎石



冠木門手前の枡形虎口



御主殿跡入口の冠木門と塀



冠木門横の土塁・御主殿跡・居館地区



御主殿跡全景〔標高267m〕・居館地区



主殿跡・居館地区



池を中心とする庭の遺構・御主殿跡・居館地区



会所跡・御主殿跡・居館地区



礎石通路・御主殿跡・居館地区



礎石通路・御主殿跡・居館地区









尾根までの太鼓曲輪登城道





太鼓曲輪の第1堀切







太鼓曲輪の第2堀切



太鼓曲輪の第3堀切



太鼓曲輪の第4堀切





太鼓曲輪の第5堀切