三河 萩城
Hagi castle

 萩城跡【愛知県豊川市萩町下の坪】
萩小学校【愛知県豊川市萩町岩田9−2】
 善住寺【愛知県豊川市萩町倉戸81】

【立地】丘城
【別称】萩村古城

【歴史】築城年、築城者は定かではない。標高149m、比高30mの丘陵端に築かれた城
である。城主に清原右馬允、内藤十郎市の名がある。戦国時代に入ると、作手奥平家2代貞
久の四男主馬允がこの地を領し、萩奥平家の祖となる。2代伝五郎を経て、1575年「長
篠の戦い」の時、3代周防守勝次は奥平本家信昌と共に長篠城に籠城して護り、戦功を挙げ
る。その後、4代主馬允−5代主馬允−6代右馬允と続いたが、7代正俊で断絶となる。現
在は曲輪、堀、土塁、井戸跡が残る。

【所感】国道1号線音羽信号から県道332号線へ入り、作手へ向って走ります。萩小学校
を過ぎ、山陰川と寺前川の合流点〔慈照寺手前〕西側の丘が城跡になります。県道332号
線の1本西側の道沿いに「萩城跡」の石碑が立ち、ココが登城口になります。登城口を入っ
て、直ぐに右へ上ると、小さな段を持った腰曲輪が在り、最高部の杉林が主曲輪になります
。東西に長い削平地で、西端に土塁、北隣りに井戸跡〔窪み〕が在ります。


 

萩城跡遠景〔写真:左〕萩城跡の石碑・登城口〔写真:右〕

 

登城途中の腰曲輪〔写真:左〕曲輪北の井戸跡〔写真:右〕

 

主曲輪〔写真:左〕曲輪西端の土塁〔写真:右〕


 

善住寺〔写真:左〕萩城主奥平周防守家之墓・善住寺〔写真:右〕