陸奥 花巻城
Hanamaki castle

    花巻城跡【岩手県花巻市城内・花城町】
   花巻小学校【岩手県花巻市花城町5】
   花巻幼稚園【岩手県花巻市城内10】
 花巻市民体育館【岩手県花巻市城内1】
  総合花巻病院【岩手県花巻市花城町4】
花巻地区合同庁舎【岩手県花巻市花城町1】
 盛岡地方検察庁【岩手県花巻市城内9】
   花巻市役所【岩手県花巻市花城町9】
 盛岡地方裁判所【岩手県花巻市花城町8】
   鳥谷崎神社【岩手県花巻市城内7】

【立地】丘城
【別称】鳥谷ヶ崎城・十八ヶ崎城

【市指定史跡】花巻城本丸跡

【歴史】築城年は定かではない。稗貫氏の居城であったが、1590年豊臣秀吉の「小田原征伐」に参
陣しなかった為、所領を没収され、8月浅野長政の家臣浅野重吉が入った。稗貫氏の当主は、和賀氏か
ら入った婿養子の広忠であったが、10月広忠の弟義忠と共に同族を集めて一揆を起こし、浅野氏家臣
後藤半七が護る二子城を奪取、更に鳥谷ヶ崎城を囲んだ。1591年8月豊臣秀吉の奥州仕置軍は二子
城を落とし、鳥谷ヶ崎城を攻撃。広忠は大崎氏を頼って落ち延びたが、後に江刺黒石の正法寺で薙髪し
たと云われている。同年、鳥谷ヶ崎城は「花巻城」に改称。南部信直より北秀愛が稗貫・和賀2郡80
00石の花巻郡代に任ぜられたが、1598年秀愛が没し、父の松斎〔信愛〕が郡代となる。1600
年南部氏が山形へ出陣の際、和賀忠親〔和賀義忠の遺児〕は伊達氏の援軍を得て花巻城に夜襲をかける
が、北十左衛門〔北松斎の養子〕勢の来援により、和賀勢は豊沢川以南に後退。十二丁目城・成田ハッ
森と敗退を重ね、岩崎城に立て篭もり、1601年南部利直によって平定された。松斎は花巻城・城下
町の整備に努め、1613年8月ほぼ完成した状態で卒去した。91歳。1614年南部利直の次男政
直が和賀・稗貫2万石を得て花巻城主を継ぎ、二子城の追手門へ円城寺坂へ移築して円城寺門とした。
1624年南部政直死去。その後、城代が置かれ、1872年廃城、1873年払い下げとなる。現在
は鳥谷ヶ崎公園・小学校・幼稚園・神社・住宅・官公署の建物などに変わり、円城寺門、時鐘、曲輪、
水堀、土塁などが残る。


【所感】市の史跡に指定されている本丸は芝生が敷かれ、1995年西御門が復元されました。本丸南
端の土塁の切れ目に御台所前御門跡が在り、その先の土橋脇には今も水堀が残されています。縄張り図
を持ち合わせていなかったので、現地の看板を見て周ろうと思ってましたが、どうしても円城寺門の場
所が分からず、二の丸に在る武徳館の方に訪ねたら、花巻城のパンフレットと案内図を貰うことが出来
ました。縄張り図を見ながら周ると、およその堀・門・蔵の跡地に標柱が立っていることが確認出来ま
す。時間の都合で全ての標柱を写真に収めることは出来ませんでしたが、説明看板も至る所に在って分
かり易くしている点に好感が持てました。次回があったら、隅々まで周ってみたいと思います。


 

 

復元 本丸西御門



本丸

 

御台所前御門跡・本丸南端〔写真:左〕本丸井戸跡〔写真:右〕

 

鐘撞堂下御堀・本丸南西〔写真:左〕御囲御堀・本丸南東〔写真:右〕

 

御武具蔵跡・本丸〔写真:左〕御作事所跡・二の丸〔写真:右〕

 

南御蔵跡・二の丸〔写真:左〕御囲穀御蔵跡・二の丸〔写真:右〕

 

焔硝御蔵跡・二の丸〔写真:左〕東御門跡・二の丸〔写真:右〕

 

薬研堀跡〔写真:左〕臼堀跡〔写真:右〕

 

馬場口御門跡〔写真:左〕円城寺門跡〔写真:右〕

 

現存 円城寺門・旧二子城追手門・鳥谷崎神社西隣り

 

花巻城大手門跡の石碑・花巻市役所新館南〔写真:左〕現存 花巻城時鐘・花巻市役所新館南〔写真:右〕