三河 半原陣屋
Hanbara jinya

 半原陣屋跡【愛知県新城市富岡字大屋敷】
   寿々喜【愛知県新城市富岡字大屋敷8−14】
ヨシミ美容室【愛知県新城市富岡字大屋敷8−42】
 望月家住宅【愛知県新城市黒田字高縄手7】

【立地】丘地
【別称】半原村古城・半原藩邸

【市指定史跡】半原藩邸跡
【国重要文化財】望月家住宅

【半原藩】1868〜1871年

【歴史】1590年家康関東移封に伴い、安部信勝は武蔵国榛沢郡・下野国梁田郡で520
0石余を得た。1636年その子大番頭信盛は三河国八名郡4000石の加増を受け、更に
大坂定番に昇進して、1649年摂津国内で1万石の加増を受け、岡部藩を立藩した。その
後、信之〔2万200石余〕−信友〔2万2200石余〕−信峯〔弟信方に2000石を譲
り、2万200石余〕−信賢−信平−信允−信享−信操−信任−信古−信宝と続き、186
8年信発は半原へ移り、半原藩を立藩したが、1871年廃藩を迎えた。現在は敷地の一部
が残り、半原藩邸阯の石碑が立っている。


【所感】国道301号線、県道81号線が交差する富岡信号交差点から国道301号線を北
上し、左5本目の脇道〔右手に寿司屋の寿々喜〕を入ると、右手に藩邸跡の歴史看板・石碑
が在ります。ヨシミ美容室の前になります。半原陣屋跡から北方3キロ程に国重要文化財指
定の望月家住宅が在ります。武田家の家臣であった望月氏は、1575年「長篠、設楽原の
戦い」で敗れて後、帰郷〔長野県佐久市望月〕せず、代々四郎左衛門を世襲し、現在地に住
んだそうです。現在の建物は、1689年頃建てられ、江戸時代は薬問屋、明治は木挽きを
していたとも伝えられています。




半原藩邸阯碑



半原藩邸跡の石碑・看板



釜屋建て 望月家住宅【国重要文化財】