尾張 長谷川秀一邸
Hasegawa Hidekazu residennce

長谷川秀一邸跡【愛知県一宮市北方町北方字西渡り・東渡り】
 下渡り公民館【愛知県一宮市北方町北方字東渡り58−2】
  北方中学校【愛知県一宮市北方町北方字宮浦42】

【立地】平地

【歴史】時期は不明である。信長、秀吉に仕えた長谷川秀一〔〜1594年〕の屋敷とされる。
織田信秀の子と云う説もあるが、柴田勝家の足軽衆安孫子右京進の子と云う。早くから信長に仕
え、小姓として寵愛された。1578年神吉城攻めの検使を務め、1579年安土宗論、教会や
馬場の土地造成の奉行、近江直轄領の代官なども務めた。1582年「本能寺の変」の際、家康
の堺見物の接待役を務めていた為、命を免れた。その後、秀吉に仕え、1584年「長久手の戦
い」で家康に敗れたが、越前国足羽郡東郷15万石を賜った。1585年「根来征伐」の軍功か
ら従五位下・侍従に任ぜられ、秀吉から羽柴姓を拝領して「羽柴東郷侍従」と呼ばれた。159
2年「文禄の役」で兵5000を率いて渡海し、各地に戦功を挙げ、1593年細川忠興らと晋
州城を攻め、一旦は敗れたものの直ぐに撃破。1594年朝鮮の陣中で病没となり、嫡子が無く
断絶した。邸宅跡は下渡り公民館辺りとされ、石碑は北方中学校横に移設されている。


【所感】北方中学校南東の校門横に石碑が立っています。道沿いですので、車でも分かります。
嘗て石碑が在った場所は、ここから国道22号線を挟んだ500m程東の下渡り公民館辺りです
が、石碑を移設するにはあまりにも離れ過ぎた地で、残念に思いました。



 

東郷侍従旧居跡の看板〔写真:左〕下渡り公民館〔写真:右〕



長谷川秀一公旧居跡の石碑・北方中学校