三河 東端城
Higashibata castle

東端城跡【愛知県安城市東端町中縄手】

【立地】平城

【市指定史跡】

【歴史】1580年大浜郷で羽城の司令を勤める長田久右衛門重元の長子尚勝の
築城とされる。尚勝の弟〔永井伝八郎〕直勝は13歳の時、家康の長子松平〔岡
崎〕信康に仕えたが、1579年信康自害の件で大浜に帰って蟄居となった。1
8歳で家康に仕え、禄30貫を賜って長田から永井に改め、永井伝八郎直勝とし
た。1584年初陣の「小牧、長久手の戦い」で豊臣方の先陣池田恒興軍を討ち
取った戦功により、兄尚勝に替わって東端城主1000石となる。1600年「
関ヶ原の戦い」後、三河国城ヶ入村・高取村を加え4050石、上総国・近江国
内で6000石を得た。1615年「大坂夏の陣」では豊臣秀頼切腹見届けの大
役を務め、1616年常陸国笠間藩主3万2000石の藩主となり、東端城は廃
城となる。現在は駐車場、畑地となり、曲輪、土塁が残る。

【所感】国道45号線東端信号交差点から南へ300m程進んだ右手の城山稲荷
大明神駐車場が城跡で、駐車場を囲むように土塁が在ります。3度目の訪城です
が、今回新たに城山稲荷の鳥居と右手に城山稲荷大明神の石碑〔側面に東端城址
〕、左手に東端城と城主永井伝八郎の石碑が新設され、城跡について更に分かり
やすくなりました。駐車場の北側には一段降りて城山稲荷本殿と東端城址の歴史
看板があります。それに加え、駐車場の県道45号線側にも東端城址の現況平面
図があり、情報いっぱいの城跡になりました!





東端城跡の南面・県道45号線側



東端城跡の曲輪・城山稲荷大明神駐車場



東端城址・城山稲荷大明神の石碑



東端城と城主永井伝八郎直勝の石碑



東端城跡西端の土塁



東端城跡東端の土塁



東端城址の歴史看板



城山稲荷神社