肥前 平戸城
Hirado castle

       平戸城跡【長崎県平戸市岩の上町】
松浦史料博物館・御館跡【長崎県平戸市鏡川町12】
 平戸観光交流センター【長崎県平戸市岩の上町1473】
  平戸市立平戸図書館【長崎県平戸市岩の上町1458-2】

【立地】平山城
【別称】亀岡城・亀甲城・日ノ岳城・朝日嶽城・玄武城
【天守の構成・形式】複合式層塔型天守

【歴史】1593年「朝鮮の役」で小西行長の先鋒として出陣した松浦鎮信が凱旋し、15
99年亀岡山に築いた日ノ岳城が前身とされる。1600年「関ヶ原の戦い」で石田三成の
催促に応じなかった為、本領を安堵され、肥後国松浦・彼杵両郡+壱岐島=6万3200石
で平戸藩を立藩した。1601年嫡男久信が2代藩主となるが、1602年久信が京都の伏
見で不慮の死を遂げると、鎮信は悲痛な思いから城を焼却。その後、白狐山の中腹に中ノ館
を築いて移り、私邸かつ政庁の場となった。1609年オランダ船の平戸誘致に成功、オラ
ンダ商館、イギリス商館を平戸に建て、外国貿易の最盛を迎えた。1614年鎮信が没する
と、久信の嫡男隆信は急ぎ弟信辰を人質として江戸へ送り出し、辛うじて襲封が認められた
。隆信は母の影響でキリスト教徒であったが、家督を継いだ際、徳川家康の命で棄教し、領
内の教会堂を破却、キリシタン迫害者に転じた。寛永年間(1624~1644年)初期、
拠点を中ノ館→御館へ移す。1637年嫡男鎮信(天祥)が家督を継ぐが、1641年オラ
ンダ商館が長崎へ移り、藩財政は大きく傾いた。鎮信は藩財政を生産物地代に転換する為、
蔵入地の拡大、農民経営数の維持増大、小農民の保護として、1647年農民法令を発布し
た。更に家臣を蔵米知行へ転換、1656年総検地を実施、他国商人を誘致し、領内の商漁
業の振興を推進し、10万石体制を確立した。1689年棟(雄香)が家督を継ぎ、弟昌に
新田1万石を分与、支藩平戸新田藩が成立した。5代将軍徳川綱吉の改新政治の一環として
、1691年棟は外様大名ながら奏者番・寺社奉行に任ぜられ、幕府政治の一翼を担うこと
になった。1703年幕府より築城の許可が下り、1704年日ノ岳城跡地に平戸城着工、
1707年竣工、御館から平戸城二の丸御殿へ移った。1713年篤信が襲封し、1718
年城郭整備完成、1724年益富氏が捕鯨を始め、藩財政を潤した。1727有信-172
8年誠信-1775年清が継ぎ、1779年藩校維新館を創設。1806年凞が継ぎ、18
08年5月英国軍艦フェートン号が長崎に不法侵入した事件以後、領内の防備態勢を強化、
砲術訓練、女子銃隊を創設、黒子島など16ヶ所に台場を設置した。1841年曜が襲封。
安政改革に着手し、外圧に対する防備体制の強化策として大銃隊を編成、開発新田地を中心
に土地制度の改革、農村経営の強化、貢租の徴集の確保に努めた。1858年凞が急逝し、
松浦詮が最後の藩主となった。詮は防備態勢を一層強化し、異国船警固規則を発布、台場を
築造、家臣を長崎へ派遣して洋式操砲を訓練させた。1862年大村藩と同盟を結び、活発
な藩外活動を行って公武合体策を推進した。1865年三条実美の使者滝清之助を迎え、公
武合体の藩論を次第に尊王論に変えて、討幕への傾斜を強めていった。1868年1月「鳥
羽伏見の戦い」では洋銃を中心とする銃隊を編成して新政府方で参陣、7月奥羽征討に従軍
、戦後3000石を下賜された。1869年6月版籍奉還して知藩事に任ぜられ、1871
年廃藩置県を迎える。廃藩置県の後、廃城令により天守ほか主要建物は破壊された。196
2年三重五階天守、更に見奏櫓、乾櫓、地蔵坂櫓が復興、1977年懐柔櫓が復興。現在は
曲輪、石垣、堀、狸櫓、北虎口門が残る。2006年日本100名城に選定。

【所感】1泊2日の長崎遠征。2日目の朝、長崎市から長崎自動車道→西九州自動車道→国
道204号線経て平戸大橋を渡ると、いよいよ平戸城です。平戸観光交流センター〔自由の
広場P6〕に車を止め、歩いて石段を上ると、最初に見える建物が現存の狸櫓〔多門蔵〕、
その先北虎口門を潜ると、平戸城内に入ります。建物はこの2つ以外は復興建物になります
。本丸に天守が建っていますが、往時は天守は無く、一重二階の沖見櫓が建っていました。
また、復興天守と見奏櫓が歩道で繋がっていますが、天守の場所が本丸、見奏櫓は二の丸で
別の曲輪でした。櫓台や門跡辺りは石垣がよく残っており、建物よりも石垣の方が見応えが
あります。天候はイマイチでしたが、海もよく見えて、いい旅になりました。




復興天守から見た本丸





復興 三重五階 天守〔沖見櫓跡〕・本丸



復興見奏櫓から見た復興天守

 

復興 二重二階 見奏櫓・二の丸〔写真:左〕復興 二重二階 懐柔櫓・二の丸〔写真:右〕







本丸門



地蔵坂櫓台・二の丸

 

復興 二重二階 地蔵坂櫓・二の丸〔写真:左〕復興 三重三階 乾櫓・二の丸〔写真:右〕







現存 狸櫓〔多門蔵〕・二の丸







現存 北虎口門・二の丸

 

二の丸御殿跡・亀岡神社



安寿御門跡・二の丸





方啓御門跡・二の丸



大手二ノ門跡・二の丸



大手一ノ門跡・二の丸



大手門跡・二の丸



三の丸・亀岡運動広場