尾張 平島城
Hirashima castle

           平島城跡【愛知県東海市荒尾町金山】
         エーオーエス【愛知県東海市荒尾町金山142−2】
平洲記念館・郷土資料館・神明社【愛知県東海市荒尾町蜂ヶ尻67】
      東海市立中央図書館【愛知県東海市中央町3丁目2】
     カニエぶどう園直売所【愛知県東海市荒尾町金山230】
      深谷フルーツ直売所【愛知県東海市荒尾町金山109】
           如意輪寺【愛知県東海市荒尾町金山135】
            宝国寺【愛知県東海市荒尾町金山120】

          平洲小学校【愛知県東海市荒尾町片坂1】




【立地】平城

【歴史】築城年、築城者は定かではない。刈谷城主初代水野忠政の兄水野藤助成政の居城とも、池田恒
興〔1536〜1584年〕の居城とも云われる。1584年「小牧、長久手の戦い」の際、恒興は秀
吉軍の別動隊として岡崎へ攻め動いたが、長久手辺りで家康軍の追撃を受けて討死する。現在は住宅に
変わり、遺構は無い。


【所感】宝国寺、如意輪寺の東方、カニエぶどう園直売所・深谷フルーツ直売所を含めた40m×40
mの方形区画が城だったようです。(有)エーオーエス南側の道沿いに平島城跡の看板が立っています
。この看板の隣りに住むご主人にお話を聞くことが出来ました。この看板の背後の竹薮は、その昔、畑
〔城〕を囲んでいた竹藪〔土塁〕の一部で、城跡の北西辺りのようです。その周りは水堀の役目も兼ね
ていた田地が広がっていたようですが、今はその面影はありません。当地〔尾張国知多郡平島村〕は米
沢藩主上杉鷹山〔1751〜1822年〕の師「細井平州」〔1728〜1801年〕の生誕地であり
、市内のあちこちに像が6体在ります。「為せば成る為さねば成りらぬ何事も成らぬは人の為さぬなり
けり」は鷹山公の名言ですが、平洲公にも「勇なるかな勇なるかな勇にあらずして何をもって行なわん
や」の名言があります。「何をやるにしてもまず勇気が必要である」という意味です。師弟の関係であ
ることから、2000年10月20日東海市と米沢市が姉妹都市となり、松岬神社の御主神として上杉
鷹山・上杉景勝・直江兼続と並んで細井平洲も祀られています。





平島城跡の看板

 

細井平洲座像・平洲記念館〔写真:左〕細井平洲座像・東海市立中央図書館〔写真:右〕


 

細井平洲座像・平洲中学校〔写真:左〕細井平洲立像・平洲小学校〔写真:右〕

 

若き日の細井平洲像・加家公園〔写真:左〕細井平洲と上杉鷹山立像・東海市役所〔写真:右〕

 

細井平洲先生誕生地の石碑・宝国寺横〔写真:左〕細井平洲先生旧里碑・神明社〔写真:右〕

 

細井平洲の両親 兄夫婦の墓・西方寺〔写真:左〕細井平洲先生誕生之地の石碑・名鉄常滑線聚楽園駅前〔写真:右〕