伊勢 保々西城
Hobonishi castle

 保々西城跡【三重県四日市市西村町字城下】
北勢中央公園【三重県四日市市西村町1080】
 保々小学校【三重県四日市市西村町2741】
 保々中学校【三重県四日市市西村町2787−2】

【立地】丘城
【別称】朝倉城・保々西村城

【歴史】康正年間(1455〜1457年)、朝明川の北、標高62m、比高16mの丘陵
地に築かれた朝倉備前守詮真の城で、4代兵部までの居城であった。1568年信長の北伊
勢侵攻の際、茂福城・中野城と共に滝川一益により落城となる。北勢中央公園野球場の南に
位置し、現在は曲輪、土塁、空堀、井戸跡、家臣団の屋敷地が残る。

【所感】保々西城跡は、北勢中央公園野球場のセンターバックボード裏の入口と、保々里山
の家が在る入口の2ヶ所があり、いずれも案内碑が立っています。私は駐車場が充実してい
る北勢球場裏から入りました。家臣の屋敷地の間をひたすら歩いて突き当りなったら右折、
保々西城跡碑の場所で再び右へ進むと、北虎口の土橋に着きます。主郭内は笹が生い茂り、
獣道を歩いて石がゴロゴロした場所から左奥へ入ると井戸跡、獣道に戻って少し進んだ左の
土塁の場所が東虎口〔内枡形虎口〕、その先に土橋があります。土橋の南側に東虎口に横矢
を掛ける土塁を持った曲輪もあります。北虎口から左右の土塁に上ることが出来ます。西側
の土塁は、最後まで進むと、堀底に下りやすい場所もあります。東方1.7キロに在る市場城
跡〔朝倉城跡〕もよく似た縄張りです。





保々西城跡の案内碑・北勢球場裏















保々西城跡までの道







北虎口の土橋



主郭北側の横堀から見た北虎口の土橋



主郭北側の横堀・北虎口の東側





主郭北側の横堀・北虎口の西側



主郭



主郭の井戸跡



東虎口の土橋



東虎口の土橋から見た主郭東側の横堀



東虎口の内枡形虎口



東虎口に対して横矢が掛かる曲輪U



主郭東端の土塁



主郭北端の土塁・北虎口の東側





主郭北端の土塁・北虎口の西側



主郭西端の土塁





保々西城跡の案内碑・『保々里山の家』側の城跡入口







保々西城跡までの道