三河 保久城
Hokkyu castle

下山小学校【愛知県岡崎市保久町市場16】
  万福寺【愛知県岡崎市保久町寺ノ入2】
  円川碑【愛知県豊田市中垣内町辨天8】

【立地】丘城

【歴史】築城年は定かではない。桓武天皇を祖とする足利の臣山下義道が、下野国から三河に移住した
ことに始まる。その子義村が初代保久城主となり、中山七村を領する。2代、3代は足利将軍奉公衆〔
旗本〕で、三河四人衆の一人として仕え、京都へ上り、身辺守護を務めた。応仁・文明年間(1467
〜1487年)の頃、「円川の戦い」で松平宗家3代信光の攻撃を受け、4代山下庄左衛門重久は、大
給城主長坂新左衛門、岩倉城主源兵衛と組んで応戦したが、山下、長坂氏は討ち取られ、岩倉勢は離散
した。その後、重久の子重勝、重仲は簗瀬姓を名乗り、保久に在した。現在は曲輪、空堀が残る。

【所感】県道331号線沿いの下山小学校敷地隅に城跡が在ります。プール横に石碑が立ち、石碑裏手
の丘が曲輪です。下山小学校北の万福寺近くに保久城主山下家墓所が在ります。




保久城跡の石碑



堀切



曲輪

 

保久城跡遠景〔写真:左〕円川碑〔写真:右〕



山下家墓所