遠江 堀川城
Horikawa castle

 堀川城跡【静岡県浜松市北区細江町気賀】
細江警察署【静岡県浜松市北区細江町気賀4640】

【立地】平城
【別称】鵜の毛城・堀河城

【歴史】1568年徳川家康の遠江侵攻に備え、今川氏の勢力下にあった気賀の土豪斉藤為吉・新田四
郎・武田右京・山村修理・尾藤主繕らが築いた城柵とされる。都田川南岸の沖積地気賀沖水田に祀られ
ていた屯倉神社を油田東岩脇の水神社へ合祀させ、その跡地に築いたと云う。周囲を柵で囲い、浜名湖
の潮の干満を利用し、満潮時は舟を使わないと入城出来ない構造となっていた。同年、岡崎城を出立し
た家康は、遠江平松崎を本陣として宇津山城・堀川城を瞬く間に攻略した。1569年3月農民250
0人の籠城も虚しく、およそ1800人が戦死したと云う。更に家康は掛川城の今川氏真を追い出し、
遠江国を手中に収める。現在は城址碑が立ち、遺構は無い。


【所感】細江警察署南川の道を450m程南西に進むと、左手の三叉路に城址碑と首塚、道沿いに堀川
城趾の看板が立っています。周辺の道が格子状に走っているので、埋立地のように見え、どのような城
であったか、全く想像が付きません。




堀川城趾の石碑

 

首塚〔写真:左〕堀川城趾の看板〔写真:右〕