陸奥 堀越城
Horikoshi castle
堀越城跡【青森県弘前市堀越字柏田】
熊野社【青森県弘前市堀越字柏田243】
【立地】平城
【国指定史跡】津軽氏城跡(堀越城跡、弘前城跡)
【歴史】1594年大浦城主4代津軽為信が築いて移る。1597年千徳政氏の浅瀬石城を攻略し、津
軽の完全統一となる。1600年為信は「関ヶ原の戦い」で2000の兵を率いて徳川勢に属し、その
論功行賞で本領3万石に加え、旧太閤蔵入地1万5000石を得て、4万5000石を安堵された。1
601年「美濃国大垣城攻め」の戦功で上野国勢多郡大館領6ヶ村2000石を得て、4万7000石
の大名となる。1603年津軽平野の中心部高岡の地に町割りを始めるが、1607年京都で客死とな
り、跡目相続争い「大熊騒動」の幕府裁定で三男信枚が2代藩主となった。1610年信牧は高岡城〔
弘前城〕築城を開始し、1611年ほぼ完成したところで堀越城から移る。現在は熊野社、草地、田畑
に変わり、曲輪、土塁、堀が残る。
【所感】国道7号線堀越信号を西へ曲がり、次の信号三叉路に熊野神社の鳥居と堀越城址の石碑が在り
ます。以前は本丸とそれを囲む内掘ぐらいだったと思いますが、現在は二之丸・三之丸を囲む土塁、掘
立柱建物跡、縄張り図の石碑などが造られています。土塁を復元することで曲輪の広さがよく分かり、
広大な平城であったことが感じられる城跡に生まれ変わりました。
二之丸
二之丸虎口前の掘立柱建物跡・二之丸
本丸西側の内堀
本丸西門跡
熊野社・本丸
本丸
本丸北端の土塁
本丸東門跡
本丸東側の内掘
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本丸東門外の掘立柱建物跡
本丸南側の内掘
三之丸南門跡
本丸北側の内掘