美濃 揖斐陣屋
Ibi Jinya

揖斐陣屋跡【岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪】
 竹中医院【岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪1353−2−1】
揖斐小学校【岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪1332−2】
 三輪神社【岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪1322】


【立地】平地

【歴史】1631年岡田将監義政〔善政〕が構えた陣屋である。1634年近江国多賀社の
造営を命ぜられ、1642年美濃国一ノ宮南宮社造営に当たった。1636年美濃国奉行の
義政は7万1171石の支配高を有し、その支配下の代官として山田長右衛門直弘2万25
16石、石原清左衛門正重1万9733石、深谷忠兵衛盛吉1万3653石、市川茂左衛門
満友1万6166石、近藤与兵衛登正1万5923石が居た。1653年美濃国可児郡徳野
村に転じて徳野陣屋を設置した。現在は住宅に変わり、石碑のみが立つ。


【所感】グーグルMAPで見ると、揖斐陣屋跡は揖斐小学校を示していますが、「日本城郭
大系」の絵地図で見ると、本丸・二の丸の位置はおよそ揖斐小学校の東側、「岐阜県中世城
館跡総合調査報告書」で見ても、陣屋の場所は小学校の東側を示しています。このことから
揖斐陣屋の石碑が立っている辺りが陣屋跡と思われます。




史蹟 揖斐陣屋の石碑・竹中医院東端