伊勢 家所城
Iedoko castle
家所城跡【三重県津市美里町家所】
辰水小学校【三重県津市美里町家所2045】
明顕寺【三重県津市美里町家所2241】
【立地】丘城
【歴史】標高114m、比高36mの独立丘陵に築かれた家所氏の居城である。家所氏は長
野氏4代播磨守藤房の子三河守祐歳が分家したものである。築城年は定かでないが、貞治年
間(1362〜1367年)頃とされる。この地方の24村を領して、8代藤安まで約20
0年続いたが、1568年信長の伊勢侵攻により落城となる。現在は山林、竹林となり、曲
輪、土塁、石垣、堀切、空堀、竪堀、井戸跡が残る。
【所感】明顕寺東隣りの山が家所城跡です。登城口は南側中央・家所城跡案内図の背後に在
り、スロープを上ると直ぐに曲輪U、曲輪Uの中央に曲輪T〔主郭〕の虎口〔石垣〕が在り
ます。曲輪Tは土塁に囲まれ、北端中央部に櫓台〔祠〕、北東角に大きな土塁〔見張台〕、
井戸跡、竪堀もあります。見張台の背後に堀切C、更に急斜面を下った場所に堀切D、曲輪
T北西角の北側にも堀切A、その奥に堀切Bを備え、曲輪Tの東側は大堀切Eで遮断してい
ます。堀切Eの東側にL字形の尾根が続き、曲輪V→二重堀切F・G、曲輪Wで北へ折れ、
堀切H→堀切I、北端に曲輪Vがあります。このL字形東尾根の曲輪V〜Vに土塁が見られ
るので、重要な曲輪と思われます。曲輪Uの西端から空堀らしき場所を経て北へ進むと、右
手に堀切A、左手に堀切B、更に道成りに進むと、右手に什心寺跡、その先の北尾根〔実際
は東を向いているが〕に平坦地が数ヶ所ありますが、改変を受けているらしく、遺構と判断
するのは難しいようです。堀切Dから北へ向かって尾根〔中央尾根〕が伸びていますが、こ
ちらも遺構かどうか分かりません。明顕寺の背後〔墓地辺り〕も城の一部と考えられること
から、曲輪Tを中心に西・東・北へ展開する広い城域であったことが分かります。

家所城跡遠景


家所城跡の看板と登城口


曲輪U・曲輪Tの南側

空堀・曲輪Uの西側

竪堀・曲輪Uの西側

曲輪Tの大手門跡と石垣


曲輪T南端の土塁

曲輪T西端の土塁

曲輪T中央北端の櫓台〔祠〕

曲輪T北東端の土塁〔見張台〕

曲輪T南東端の竪堀

曲輪Tの井戸跡


曲輪T

曲輪T北西側の堀切A

曲輪T北西の堀切B

曲輪T北東側の堀切C

曲輪T北東の堀切D

曲輪T東側の堀切E・東尾根

曲輪Vの土塁・東尾根

曲輪V・東尾根

二重堀切F・東尾根

二重堀切G・東尾根

曲輪W・東尾根

堀切H・東尾根

堀切I・東尾根

曲輪X・東尾根先端

什心寺跡



北尾根の平坦地

伝家所三河守の墓

井戸跡・中央尾根

井戸跡がある平坦地・中央尾根

中央尾根の平坦地
