伊予 今治城
Imabari castle

  今治城跡【愛媛県今治市通町3丁目1−3】
美須賀中学校【愛媛県今治市黄金町3丁目3−3】

【立地】水城
【別称】吹揚城・吹上城・美須賀城

【県指定史跡】

【歴史】1595年伊予国板島〔宇和島城〕7万石の城主藤堂高虎は、1600年「関ヶ原
の戦い」の戦功により20万石の加増を受け、伊予国国府城へ入城。それまで領国であった
南予の板島城〔宇和島城〕・大津城〔大洲城〕の改修を進めながら、1602年国府から今
張の地を選び、今治城と城下町の工事を始めた。水陸交通の要衝であり、来島海峡一帯の制
海権を確保することが今張を選ばれた理由とされる。縄張りは渡辺勘兵衛、普請奉行は木山
六之丞が担当し、1604年ほぼ完成、1608年全てが完成した後、幕命により高虎は伊
勢・伊賀国を領有、伊勢国安濃津22万石へ転封となった。しかし、伊予国越智郡内2万石
を領有していたので、養嗣子の高吉が今治城主を継いだ。18年在城の後、1635年伊賀
国名張へ移り、代わって伊勢国長島から松平〔久松〕定房が3万石で入封して今治藩を立藩
。1665年江戸城大留守居役を命ぜられた際、武蔵・下総・常陸国内で1万石の加増を受
け、4万石となる。1674年定時が継ぎ、1676年定時没後、定陳が襲封、定時の遺言
で弟定道に関東の5000石を分与し、3万5000石となる。その後、定基−定郷−定休
−定剛−定芝−定保〔勝道〕と続き、定法で廃藩置県を迎える。1953年県史跡に指定さ
れ、1980年天守・多聞櫓・武具櫓、1985年御金櫓、1990年山里櫓が復興、20
07年鉄御門を復元された。現在は吹揚公園と称され、曲輪、水堀、石垣が残る。

【所感】蒼社川河口の北、美須賀中学校の北東に隣接して今治城が在ります。幅広の水堀が
印象的な今治城は嘗てのような海に浮かぶ海城の雰囲気はありませんが、今治内港と導水路
で繋がった水堀には海水魚が住み、海が近いことが感じられます。実際にチヌを見た時は、
釣りたくなってしまいました。現在建っている櫓の外観は古写真に基づいて復元されている
ようですが、天守は場所も内・外観とも全く違う点が残念です。







水堀



今治城跡の石碑





五重六階 模擬天守・本丸



吹揚神社・本丸



藤堂高虎公像・二の丸



蒼吹の井・二の丸







二重二階 山里櫓と山里櫓門・二の丸



武具櫓 鉄御門付近・二の丸



二重二階 武具櫓・二の丸



鉄御門・二の丸





二重二階 御金櫓・二の丸