三河 医王寺山勝頼陣所
Ioujiyama Katsuyori camp

医王寺山勝頼陣所跡【愛知県新城市長篠字碁石52−14・71−15】
武田勝頼戦地本陣跡【愛知県新城市八束穂】
      医王寺【愛知県新城市長篠字弥陀の前256】
    荏柄天神社【愛知県新城市長篠字碁石50】

【立地】丘地
【別称】医王寺山砦・勝頼陣城

【市指定史跡】

【歴史】1575年「長篠、設楽ヶ原の戦い」の際、医王寺山〔標高120m、比高30m
〕に武田勝頼ら3000人が布陣した陣所とされる。勝頼軍はこの後豊川を渡り、清井田へ
陣を移し、戦いが始まると才ノ神へ、合戦中は天王山で指揮を取った。現在は山林、神社と
なり、曲輪、堀、土塁、石積が在る。


【所感】国道151号線、国道257号線が交差する長篠城址信号T字路から北の国道25
7号線を進み、茶寮本陣が在る辻を右へ入って250m程進んだ左手に医王寺が在ります。
医王寺本堂前に「武田勝頼公本陣趾」の石碑が在り、本堂裏手の山が陣所になります。医王
寺東方の民家横に陣所へ向かう登城口が在り、10分程で東曲輪、土橋を渡って本曲輪に着
きます。ここに物見の模擬櫓が在り、更に進んだ土塁の裏手に西曲輪が在ります。他の陣所
と比べ、曲輪、土塁、堀、土橋などが見て分かる為、城跡のような雰囲気を感じます。


 

医王寺勝頼陣所跡遠景〔写真:左〕登城口〔写真:右〕

 

医王寺勝頼陣所跡の本曲輪〔写真:左〕本曲輪に在る物見櫓〔写真:右〕

 

西曲輪〔写真:左〕本曲輪と東曲輪を繋ぐ土橋〔写真:右〕

 

武田勝頼公本陣趾の石碑・医王寺〔写真:左〕医王寺〔写真:右〕

 

武田勝頼戦地本陣跡の看板・清井田〔写真:左〕武田勝頼戦地本陣地の石碑・清井田〔写真:右〕