三河 石橋城
Ishibashi castle

        慈昌院【愛知県新城市作手清岳字寺屋敷3】
道の駅・つくで手作り村【愛知県新城市作手清岳字ナガラミ10−2】

【立地】丘城
【別称】弾正屋敷・石橋館・石橋村城

【歴史】応永年間(1394〜1428年)頃に築かれた亀山奥平家2代貞久の次男奥平〔石橋〕弾正
久勝の居城で、亀山奥平家3代貞昌の家臣となった。1537年石橋弾正久勝の子繁昌は、主君への謀
反が露見し、亀山奥平家4代貞勝の命を受けた土佐定雄に攻められ討死した。数年後、石橋山の徳岩明
和尚が4代貞勝に願い出て、繁昌と郎党40人を弔う為、弾正屋敷を受け継ぎ、石橋山慈昌院とした。
現在は曲輪、堀、土塁が残る。

【所感】国道301号線沿いの「道の駅・つくで手作り村」の前に石橋城跡の慈昌院が在ります。寺門
を潜った境内が曲輪跡で、その奥に「歴史看板」その背後に土塁が在ります。旧作手村には「歴史の小
径」と称するハイキングコースが幾つか在り、至るところに案内板が立っています。この日は周辺を6
城を訪ねましたが、スムースに周れるのは、この看板のおかげです。登城道もよく整備され、村民の誠
意が伝わって来ます。昼食は「道の駅・つくで手作り村」で冷そばとジャンボフランクを頂き、お腹い
っぱいで帰りました。


 

石橋城址の木碑・慈昌院〔写真:左〕慈昌院〔写真:右〕




土塁・慈昌院

 

石橋城址の看板・慈昌院〔写真:左〕空堀・慈昌院〔写真:右〕