三河 一色屋敷
Isshiki residence

一色屋敷跡A【愛知県田原市田原町五軒丁】
一色屋敷跡B【愛知県田原市大草町前田】
 田原中学校【愛知県田原市田原町椿1−1】
   大泉寺【愛知県田原市大草町蔵屋敷50】
   長興寺【愛知県田原市大久保町岩下8】
    金源【愛知県田原市田原町椿11−7】

【立地】丘地
【別称】一色屋敷跡B:一色館・一色七郎邸

【歴史】『一色屋敷A』時期は定かではない。一色七郎の屋敷とされる。場所は五軒丁池南
の畑地とされ、遺構は無い。1843年田原藩が屋敷南西の地で大砲の鋳造を行っている。
『一色屋敷B』1479年に築かれた一色七郎政照の屋敷とされる。1467〜1477年
「応仁、文明の乱」の際、政照は山名宗全に属して京都へ出陣したが、その間、細川勝元方
戸田氏の渥美攻略で領地を失い、和睦を経て、隠居屋敷を築いたと云う。1481年頃に亡
くなり、戸田宗光によって弔いの為、宝憧寺が建立された。現在は畑地となり、一角に一色
七郎邸跡の看板、一色七郎墓跡の石碑が立つ。

【所感】『一色屋敷A』県道28号線晩田信号交差点を西へ曲がり、歩道橋、金源が在る最
初の辻を右折、更に最初の脇道を左折すると、五軒丁池が在ります。五軒丁池の南側に在る
畑地が屋敷跡とされ、この畑地の入口に矢部沢大砲鋳造所跡が在ります。『一色屋敷B』大
泉寺南の道を東へ進んだ突き当たりに一色七郎邸跡の歴史看板と一色七郎墓跡の石碑が立っ
ています。石碑東側の畑地・ビニールハウスがある三角区画が屋敷跡になります。一色七郎
の墓は長興寺戸田氏墓所内に移されています。



 

矢部沢大砲鋳造所跡〔写真:左〕一色屋敷跡A・民家裏手〔写真:右〕

 

一色七郎墓跡の石碑〔写真:左〕一色屋敷跡〔写真:右〕


  

一色七郎墓跡の石碑〔写真:左〕長興寺〔写真:中央〕一色七郎の墓・長興寺〔写真:右〕