三河 岩倉城ノ浦城
Iwakura shironoura castle

 岩倉城ノ浦城跡【愛知県豊田市岩倉町城ノ浦】
     顕正寺【愛知県豊田市岩倉町西脇71】
岩倉町西区民会館【愛知県豊田市岩倉町西脇69−1】

【立地】丘城
【別称】岩倉城・岩倉村古屋敷・〔岩倉城ノ峠城〕

【歴史】標高109m、比高35mの尾根上に築かれ、城主に戸田又次〔又八〕、岩倉隼人助、天野藤
右衛門の名があるが、岩倉城ノ峠城の城主と混同して分からない。城跡の遺構からは戦国期のものとさ
れ、館跡の遺構からは室町期のものと推測され、時期も不明である。現在は竹林となり、曲輪、堀切、
土塁が残る。

【所感】県道340号線と水源橋が交差する水源橋東詰信号を東へ1キロ程進むと、右手に岩倉町西区
民会館・顕正寺、更に300m程進むと、左手に「岩倉城址」の標柱が在り、この道を入ります。大峰
配水場・民家間を抜け、砂利道を進むと、道が左右に分かれますが、左の道を入って直ぐに岩倉城址の
石碑と看板が在ります。遺構は看板の縄張り図で確認出来ますが、看板背後の曲輪に始まり、堀切・曲
輪・馬出しの順に並んでいます。見所は“曲輪間の堀切”と“深さ1m程の堀で形づくられた馬出し”
というところでしょうか。馬出しは城郭西端の高圧線鉄塔が在る場所から来た道の戻るような形で林の
中へ入って行くと、直ぐに着きます。城跡の南西麓に民家が在り、この民家の東側裏手に岩倉城ノ浦館
跡が在ります。畑仕事をしていた人とお話をしていたら、城跡一帯の地主であり、大坂夏の陣で受傷し
た戸田氏と共に帰城した人物の子孫であることを知り、びっくりしました。


 

岩倉城址の石碑・「岩倉城について」の看板〔写真:左〕城郭西端の馬出し〔写真:右〕



主郭東側の堀切



岩倉城ノ浦城跡・岩倉城ノ浦館跡遠景