美濃 岩手弾正居館
Iwate danjo yakata

岩手弾正居館跡【岐阜県不破郡垂井町岩手】

【立地】平城

【歴史】「美濃国諸家系図」によると、岩手弾正左衛門頼重は長江頼慶の子で山岸源助とも
称し、1384年不破郡今須で生まれ、不破郡岩手・府中・栗原・梅谷・荒尾・松尾・大石
などを領した。岩手山城に住して岩手氏を称し、重朝−重久−信忠−信久−信冬と続いたと
ある。「美濃国諸旧記」では鎌倉時代初期、「土岐光衡・梶原景時・二階堂行政・岩手小忠
太光家らが代わる代わる美濃国守護に任ぜられた」とあり、光家が岩手氏で祖先ではないか
と云われる。1221年「承久の乱」では岩手三郎の名がある。1461〜1466年岩手
又四郎長敏・岩手中務丞長仍が岩手の岩崎神社の造営に携わり、1501〜1502年岩崎
弾正忠典、1527年岩手弾正忠長知、1546年岩手弾正忠長誠らは岩崎神社の修繕に携
わった。岩手氏は応永年間(1394〜1428年)〜天文年間(1532〜1555年)
まで美濃の土岐氏・斎藤氏、六角氏、細川氏と関係も持ちながら、岩手菩提山を本拠として
いたが、1558年竹中遠江守重元によって滅ぼされた。岩手弾正は岩手村漆原へ移り、子
孫は大滝に移住したと伝えられる。居館跡はこの神社の東側辺りとされ、現在は空き地、民
家となり、遺構は無い。

【所感】竹中氏陣屋跡から東方へ900m程、漆原集会所の南50m程に大岩手神社の看板
と小社が在ります。子孫が移住したという大滝は漆原の北方、モリアオガエルの生息地、不
破の大滝が在るエリアですが、現在、子孫は居ないそうです。




岩手弾正居館跡辺り



大岩手神社・漆原集会所南方