遠江 十二所居館
Junisho yakata

十二所居館跡【静岡県袋井市諸井】
   心宗院【静岡県袋井市諸井514】

【立地】平地
【別称】十二所屋敷

【市指定史跡】十二所居館跡

【歴史】12世紀の遠江国山名荘諸井郷は熊野山領で「十二所」の地名も熊野十二所権現に
由来すると云う。出土遺物から12世紀の山名荘の官衙的な空間として方形居館の成り立ち
が見られる。その後、衰退するが、戦国期に入って伊達領となり、1545年10月伊達藤
三が今川義元から諸井郷を安堵され、1562年3月伊達宗綱が今川氏真より安堵されてお
り、伊達氏の居館が在ったことが伺える。1579年11月『家忠日記』に「むろい迄酒左
陣替候」とある。武田勝頼によって高天神城が制圧され、家康による奪還作戦が佳境に入る
最中、浜松から馬伏塚城と新造された横須賀城を繋ぐ陣場として機能したことが概括出来る
。発掘調査から土塁、溝、外枡形虎口が出土し、心宗院の北西角に土塁が残る。

【所感】東の県道41号線・南の県道255線・西の中遠広域農道・北の原野谷川に囲まれ
た中央部に位置し、諸井十二所公園に十二所居館跡の詳細を記した石碑があります。往時は
北隣りに原野谷川が流れていたことから、洪水対策も含めて大土塁が築かれていたようです
が、現在、心宗院に残る土塁に幅、高さはありません。




心宗院西端の土塁



心宗院北端の土塁



心宗院



史跡 十二所居館跡の石碑・諸井十二所公園