美濃 十七条城
Jishichijo castle

十七条城跡【岐阜県瑞穂市十七条256】
 熊野神社【岐阜県瑞穂市十七条70】


【立地】平城
【別称】船木城

【市指定史跡】

【歴史】南北朝時代(1333〜1392年)の初期、土岐頼貞の子船木三郎頼胤が築いた
とされる。1338年頼胤病没後、頼胤の子は母方の武藤氏を継いで武藤二郎頼実と称し、
近江の塩津合戦で討死した。その後、二階堂三蔵−二階堂安右衛門−仙石権左衛門秀豊−和
田五郎兵衛利詮が入り、享禄年間(1528〜1532年)安八郡林村の城主林佐渡守正長
が改築して居城とした。1562年織田信長の侵攻「軽海の合戦」で正長の子玄蕃は討死、
正長の次男宗兵衛正三まで十七条城に在城したが、1578年に没した。正三の子市助は稲
葉兵庫頭重通の養子となり、稲葉佐渡守正成〔妻は斎藤福、後の春日局〕を称して2万石を
領有、元和年間(1615〜1624年)尾張藩に出仕。正成の子稲葉丹後守正勝は老中と
なり、小田原藩8万5000石を領有。弟稲葉七之丞正定は尾張藩に属し、十七条村も含む
1000石を得たが、孫の六郎右衛門は嗣子無く、家は断絶した。十七条村は幕末まで尾張
領となる。現在は住宅、畑地となり、遺構は無い。

【所感】グーグルで“十七条城跡”と打つと“十七条城跡碑”が表示され、背後の木々に囲
まれた個人宅辺りが城跡になります。この城跡碑、以前は道から見える状態になっていまし
たが、現在は枝葉に隠れて見付けにくく、撮影が難しくなっています。離れた場所に立てら
れることが多い中、ちゃんと城跡の場所に城跡碑が立っていることを嬉しく思います。





十七条城跡碑




十七条城跡の看板・熊野神社



春日局ゆかりの地の石碑・熊野神社