遠江 掛川城
Kakegawa castle

  掛川城跡【静岡県掛川市掛川1138−24
   油山寺【静岡県袋井市村松1】
   龍雲寺【静岡県菊川市西方3780−1】
   円満寺【静岡県掛川市掛川459】
大手門駐車場【静岡県掛川市城下8−1】

【立地】平山城
【別称】松尾城・雲霧城
【天守の構成形式】複合式層塔型天守

【国重要文化財】掛川城旧大手二之門(油山寺山門)、掛川城御殿
【県指定史跡】

【歴史】1513年今川義忠が重臣朝比奈泰熙に命じ、竜頭山〔標高50m〕に築いた城である。泰熙
−泰能−泰朝と3代続いたが、1568年家康に攻められ、今川氏真、朝比奈泰朝は小田原へ逃れた。
その後、徳川方の石川家成・康通父子が入り、武田方の備えとした。1582年武田氏滅亡後、159
0年家康関東移封に伴い、康通は上総国鳴渡へ移り、代わって山内対馬守一豊が5万石で入り、10年
掛りで現在に残る近世城郭の基礎を築いた。1600年「関ヶ原の戦い」の後、久松松平定勝〔家康の
異父弟〕が3万石で掛川藩を立藩、嫡男定行に継がれるが、1617年父子とも伊勢国桑名14万石へ
転封となった。その後、多くの藩主交代がある。徳川頼宣の付家老安藤直次−1619年久松松平定勝
の三男定綱−1625年朝倉宣政の城地となり、1633年青山幸成−1635年桜井松平忠直−16
39年本多忠義−1644年藤井松平忠晴−1649年北条氏重−1659年井伊直好−直武−直朝−
直矩と続いた。1706年桜井松平忠喬、1711年年小笠原長煕−長庸−長恭、1736年太田資俊
−資愛−資順−資吉−資始−資功を経て、資美で明治を迎える。日本では数少ない二の丸御殿〔国重要
文化財〕、大手門番所〔市重要文化財〕が残る。1994年日本初の本格的木造天守が復元され、三の
丸から移築された太鼓櫓、十露盤堀、三日月堀、四足門・大手門など見所が多い。

【所感】大手門駐車場から大手門・大手門番所を経て、逆川沿いを歩いて行くと、徐々に近づいて来る
天守に心が躍ります。本丸から見ても、掛川城御殿から見ても美しい天守。いつもより多く写真を撮っ
てしまいます。油山寺と龍雲寺・円満寺に城門が移築されています。





大手門



 

四足門・掛川城入口

 

 

 

 



三重四階 木造復元天守 天守丸地盤からの高さ:19.78m 天守本体の高さ:16.18m

 

天守丸から見た天守と付櫓

 

付櫓・天守丸〔写真:左〕霧吹き井戸・天守丸〔写真:右〕



本丸から見た天守



掛川城御殿側から見た天守と塀







天守1階

 

石落とし・天守1階〔写真:左〕狭間・天守2階〔写真:右〕



天守2階



天守3階・武者隠しの間




天守4階・最上階



本丸



掛川城御殿【国重要文化財】・二の丸


 

大書院・掛川城御殿【国重要文化財】〔写真:左〕次の間・掛川城御殿【国重要文化財】〔写真:右〕

 

二の間・掛川城御殿【国重要文化財】〔写真:左〕三の間・掛川城御殿【国重要文化財】〔写真:右〕

 

廊下・掛川城御殿【国重要文化財】〔写真:左〕小書院・掛川城御殿【国重要文化財】〔写真:右〕

 

天守と太鼓櫓〔写真:左〕移築 太鼓櫓〔写真:右〕




三日月堀・二の丸



十露番堀・二の丸



御殿東側の黒土塁・二の丸



御殿勝手台所井戸跡・二の丸



三の丸

 

大手門番所〔写真:左〕内掘の一部・蓮池〔写真:右〕



掛川城旧大手二之門【国重要文化財】・油山寺