尾張 兼松屋敷
Kanematsu residence

兼松屋敷跡【愛知県一宮市島村字上深田】
葉栗保育園【愛知県一宮市島村字上深田58】
  東林寺【愛知県一宮市島村字花ノ木179】

【立地】平地

【歴史】時期は定かではない。兼松又四郎正吉〔1542〜1627年〕の屋敷とされる。屋敷跡は現
在の御子孫宅とも、東林寺の西側〔島村字宮西〕とも云われ、場所は不明。兼松氏は越前国足羽郡兼松
村の出で、後に尾張国葉栗郡嶋村へ来住し、1542年兼松秀清の子として正吉が生まれる。織田信長
に仕え、1560年「桶狭間の戦い」が初陣。下級武士であったが、戦功を挙げて馬廻衆として活躍し
た。1582年「本能寺の変」の後、織田信雄、豊臣秀次に仕え、秀吉の黄母衣衆に加えられ、尾張国
丹羽郡内1000石を領した。秀吉没後は徳川家康に仕え、1600年「上杉征伐・岐阜城攻め・関ヶ
原の戦い」に従軍し、戦後、清洲城主松平忠吉の与力となり2600石を知行。忠吉が早世して後、徳
川義直に仕え、尾張藩士となった。墓所は政秀寺。現在、御子孫宅に古井戸が残る。

【所感】県道152号線、県道175号線が交差する島村信号を南下し、次の信号を西へ曲がり、初め
ての辻を北へ入ると、葉栗保育園が在ります。保育園北西隣りの屋敷門のお宅が御子孫宅になります。
一宮市の木「クロガネモチ」が在ります。





兼松氏の御子孫宅

 

東林寺〔写真:左〕兼松正吉の墓碑・東林寺本堂裏〔写真:右〕