越後 春日山城
Kasugayama castle

      春日山城跡【新潟県上越市中屋敷1357】
春日山城跡ものがたり館【新潟県上越市大豆334】
        林泉寺【新潟県上越市中門前1丁目1−1】
上越市埋蔵文化センター【新潟県上越市春日山町1丁目2−8】

【立地】山城
【別称】鉢ヶ峰城・蜂ヶ峰城・春日山要害

【国指定史跡】

【歴史】南北朝時代(1336〜1392年)の正平年間(1346〜1370年)頃、越
後国守護上杉氏が越後府中の守護館の詰城をして築いたことに始まる。永正年間(1504
〜1521年)頃、越後国守護代長尾為景が戦国の山城に大改修したと云う。1507年為
景は守護上杉房能を追放・自刃へ追い込むと、妹婿である上杉定実を越後国守護に擁立した
。1509年房能の実兄である関東管領上杉顕定の来襲で、長尾為景・上杉定実は越後を追
われるが、1510年態勢を整えて逆襲、顕定を敗死させた。1536年為景は隠居、跡を
長男晴景が継いだ。黒滝城主黒田秀忠の謀反で春日山城を攻められ、弟景康・景房らが殺害
された。末弟の景虎は16歳で黒滝城を攻め、秀忠を降伏させる。その後、兄晴景に代わっ
て長尾家の家督を継ぎ、関東管領上杉憲政の養子となって上杉謙信となる。謙信は生涯70
余の合戦で無敗、存命中に春日山城を攻める者はいなかったと云う。1578年謙信没後、
養子間の争いを制した景勝が春日山城主となり、秀吉時代に入ると、越後他90万石を領し
、五大老の一となる。1598年会津120万石へ転封となり、替わって越前国北ノ庄城主
堀秀治が越後一国45万石で入った。上杉時代に城攻めを経験していない春日山城の防備を
固めるべく、家老の堀直政に命じて櫓や総構などの普請を行った。しかし、山城では不便と
感じ、1600年福島城の築城を計画する。同年「関ヶ原の戦い」では東軍に属し、家康よ
り所領を安堵。1606年堀秀治没後、忠俊が相続。1607年忠俊は福島城を完成させ、
春日山城は廃城となる。1974年国指定史跡となり、2006年日本100名城に選定さ
れる。現在は登城道・散策路が整備され、曲輪、土塁、堀切、井戸跡などが残る。

【所感】高速道路の上信越道と北陸道が交差する上越JCTの北西に春日山城跡が在ります
。私は「春日山城跡ものがたり館」が在る総構えの監物堀・土塁・東城砦跡を撮って後、時
間の都合で上杉謙信公の墓所がある「林泉寺」を割愛し、「春日山城跡」へ向かいました。
予想以上に駐車場・登城道などが整備され、回り易く、撮り易くなっています。曲輪は堀切
や段差を設けて見て分かるように区切られた縄張りです。その後、「上越市埋蔵文化センタ
ー」へ寄って謙信公の騎馬像を撮って帰りました。林泉寺も含めれば、城好きなら1日撮影
となるエリアです。






総構の監物堀と土塁と柵







東城砦跡と掘立柱建物



東城砦跡東側の堀切





馬場



春日山城阯碑と春日山城の看板



甘粕近江守宅跡



三の丸・景虎屋敷跡



米蔵



二の丸



堀切と柿崎屋敷跡



柿崎屋敷跡




上杉景勝屋敷跡



鐘樓跡−上杉景勝屋敷跡間の堀切





鐘楼跡





井戸曲輪−鐘楼跡間の堀切



井戸曲輪・大井戸



天守台



天守台



本丸



護摩堂跡



諏訪堂跡



毘沙門堂・不識院跡



御花畑跡



直江山城守屋敷跡・上段



直江山城守屋敷跡・中段



直江山城守屋敷跡・下段







堀切



千貫門跡



上杉少弼入道宅跡



春日山神社・政所跡



春日山城大手道入口