伊勢 萱生城
Kayo castle

暁高校・暁中学校【三重県四日市市萱生町238】

【立地】丘城

【歴史】文治年間(1186〜1189年)、源頼朝より伊賀に流された
富田家資の子孫春日部宗方が築いたとされる。1184年平家再興を目論
んで乱を起こし、伊勢の守護大内惟義に敗れて捕らえられたが、その才を
惜しんで頼朝に一命を助けられた。もとは武蔵国春日部に住んでおり、萱
生に移った際、春日部に改姓したと云う。北勢四十八家でも有力な豪族と
なり、近郷十ヶ村を領して四十八家筆頭の千種常陸介の与力であったが、
1568年織田信長の北伊勢侵攻の際、滝川一益、豊臣秀吉に攻められる
。春日部俊家は北勢三家衆を従え、5年間に渡る大奮戦となったが、15
73年信長方の大攻撃を受け、廃城となった。1583年「小牧、長久手
の戦い」の際、織田信雄に加担した徳川家康が佐久間正務に城を改修させ
、秀吉方に備えたとも伝わる。現在は暁学園〔高校・中学校〕に変わり、
土塁の一部と髪のびの井戸跡が残る。

【所感】朝明川、三岐鉄道三岐線南の丘陵部に位置します。バス停暁学園
前から車で坂道を上りきると、学校校舎右手に「髪のびの井戸」がありま
す。井戸は良い状態で残され、そこに歴史看板があります。関係者以外は
入りづらい場所です。




萱生城跡の歴史看板