尾張 清正屋敷
Kiyomasa residence

 妙行寺【愛知県名古屋市中村区中村町木下屋敷22】
 常泉寺【愛知県名古屋市中村区中村町木下屋敷47】
中村公園【愛知県名古屋市中村区中村町茶ノ木25】


【立地】平地

【歴史】1562年加藤清正が生まれた地で、幼名を虎之助と云う。母伊都は秀吉の母大政所の従姉妹
、或いは妹とも云われ、秀吉とは縁戚関係にある。1564年父清忠が亡くなる。1582年「本能寺
の変」の後、秀吉に従って「山崎の戦い」に参戦し、1583年「賤ヶ岳の戦い」では「賤ヶ岳七本槍
」の一人として武功を挙げた。1585年秀吉が関白に就任すると、清正も従五位下、主計頭に叙任。
1586年「九州征伐」の後、肥後国に佐々成政が入るが、失策、改易となり、代わって肥後半国25
万石を与えられ、熊本城を居城とした。「文禄、慶長の役」を経て、1600年「関ヶ原の戦い」では
東軍に参戦し、論功行賞で肥後一国52万石の大名となる。1610年名古屋城築城時、余材を使って
妙行寺を再建したと伝わる。「熊本城」「名古屋城」「江戸城」などの普請で知られる築城名人でもあ
る。現在は妙行寺となり、遺構は無い。

【所感】中村公園〔小出秀政屋敷跡〕の東、常泉寺〔豊臣太閤屋敷跡〕の南に妙行寺・清正屋敷跡が在
ります。築城名人の清正公。私の城巡りのきっかけは名古屋城ですが、この人がいなかったらこの趣味
もなかったかもしれません。




加藤清正公像・妙行寺


 

清正公誕生之地の石碑・妙行寺〔写真:左〕妙行寺〔写真:右〕