遠江 光明城
Komyo castle

光明城跡【静岡県浜松市天竜区横川】
 光明寺【静岡県浜松市天竜区山東2873】

【立地】山城
【別称】高明城・高明山城

【歴史】光明山〔標高540m〕の南方690mに位置する支脈尾根〔標高489m〕上の
山岳寺院を利用した山城である。享禄年間(1528~1532年)今川氏輝の命で朝比奈
下野守時茂が築き、朝比奈又太郎が継いで在城したと云う。天正年間(1573~1575
年)初期、武田軍の番手城として使われ、1575年本多忠勝・榊原康政ら攻撃で徳川方の
支城となり、二俣城主大久保忠世の家臣に護らせた。717年開山の明鏡山光明寺跡を城と
して利用、江戸期、同地に石垣を築いて寺院再建、1931年火災で焼失、麓に光明寺が再
興された。1582年頃、廃城と云う。現在は曲輪、堀切、井戸跡などが残る。


【所感】新東名高速道路「浜松・浜北IC」から国道152号線を北上します。二俣を経て
、国道152号線と国道362号線が分かれる「山東」信号を左の国道152号線を4.7キ
ロ走り、右手の脇道を上ります。1.8キロ上って、突き当りを左へ4.4キロ走ると、「光
明山遺跡旧参道五十町」の看板ともに道に線が引かれた駐車場が在ります。駐車場から歩い
て「天龍光明の森」「光明城跡」の標柱が立つ道へ入り、道なりに真っ直ぐ降ると、開けた
場所に石垣が見えて来ます。石垣で支持された平坦地が三段並びますが、最高地が光明寺跡
・本曲輪です。本曲輪の石段を下りて左へ折れ、「光明城跡」の標柱に従って本曲輪の東側
を北へ歩くと、「中曲輪」「堀切」の標柱が立っています。「中曲輪」=二の曲輪で山林に
なっていますが、北側の腰曲輪に井戸跡らしき穴が在ります。「堀切」の方向も二の曲輪で
五人塚=櫓台、裏手に堀切が在ります。「中曲輪」「堀切」の標柱が立つ道へ戻って奥へ下
ると、右手に箱井戸、ここが城郭の東端です。麓から長い時間掛けて林道を走るので、人は
来ないと思っていましたが、次々に人と会うのでビックリしました。






登城道







光明寺跡〔1段目〕





光明寺本坊跡〔2段目〕



光明寺本坊跡〔2段目〕から見た浜松方面の景色







光明寺本坊跡南面の寺院石垣





本曲輪北側の古井戸



光明寺本坊跡〔2段目〕から本曲輪へ上る道





本曲輪〔3段目〕・光明寺跡





本丸南面の寺院石垣



本丸東面の寺院石垣





二の曲輪



井戸跡か・二の曲輪北側の腰曲輪



五人塚・櫓台・二の曲輪



二の曲輪東側の堀切



城郭東端の箱井戸



明鏡山 光明寺



光明山古墳【国指定史跡】・光明寺