陸奥 黒石城
Kuroishi castle

黒石城跡【青森県黒石市境松】
境松会館【青森県黒石市境松2丁目67】

【立地】丘地
【別称】旧黒石城

【歴史】鎌倉時代(1185〜1333)の御家人、工藤氏の居城とされ、1326年藤崎
安藤氏の内乱を鎮める為、鎌倉幕府の命で津軽に派遣されたと云う。工藤右衛門尉貞行は田
舎郡の地頭代を務め、1333年「大光寺楯合戦」及び「石川楯合戦」に出陣し、戦功によ
り鼻和郡目谷郷・外浜野尻郷などを得ている。しかし、貞行には嫡男が無く、これらの所領
を娘の加伊寿御前に譲渡した。加伊寿御前は八戸6代南部信政に嫁ぎ、生まれた7代信光に
田舎郡黒石郷・鼻和郡目谷郷、8代政光に田舎郡上冬居郷、日野間郷、外浜野尻郷を相伝し
た。これにより南部氏は工藤貞行と共に4代師行の外浜内摩部郷、中沢、佐比内、中目など
の所領と合わせて、津軽進出の土台を築いた。黒石城が内広市郭・外広市郭・花館の3郭で
構成されており、城跡の北側に小阿弥堰が流れ、堀の役目を果たしていた。3つの郭は浅瀬
石川の洪水や開拓で破壊され、昔の面影は無い。花館郭は跡形も無く、浅瀬石川の河原か土
手になっている。

【所感】県道38号線沿い境松会館から西へ200m程進んだ新境松橋の袂に旧黒石城趾の
石碑が在ります。黒石陣屋を黒石城と言うらしく、区別をつける為、旧黒石城と言うようで
す。城跡は石碑の場所ではなく、南側の丘下、浅瀬石川付近とされますが、具体的な場所は
分かっていません。




旧黒石城趾の石碑