伊勢 楠城
Kusu castle

      楠城跡【三重県四日市市楠町本郷】
サークルK楠本郷店【三重県四日市市楠町本郷楠町本郷288】
 楠歴史民俗資料館【三重県四日市市楠町本郷楠町本郷1068】

【立地】平城
【別称】楠山城

【歴史】楠城は鈴鹿川本流と派川の分流点、三角州先端に位置する。初代の諏訪十郎貞信は
信濃国諏訪の住人で伊勢国司北畠氏に仕え、1396年当地に城を築き、南朝方に属したと
伝わる。伊勢国入国については、楠木正成妾腹説、武田信玄による領地奪取説、後醍醐天皇
の第五子宗良親王が信濃に勢力を張り、その関係から後に北畠氏に従って入国したなどの説
がある。2代有益は北畠顕泰により中島4郷を賜り、中島氏を称した。1399年大内義弘
の乱後、3代貞則は兄貞益と共に伊勢国北畠満雅の命に叛き、京に留まった為、楠平尾の楠
木兵衛助正顕〔楠木正成三子の嫡男と伝わる〕が楠城の代官として任命された。1408年
正顕の三子楠正威が4代楠城主となり、5代正充−6代正忠−7代正具と子孫が継いだ。1
567年正具の時、織田信長の命を受けた滝川一益の北伊勢侵攻が始まり、北伊勢の諸城が
織田に降る中、正具は治田城に籠り、降らなかったと云う。その後、大坂石山合戦で戦死し
たとされる。8代は織田信長の命により楠家の親戚村田庄三郎の子十郎正盛が城主となる。
政盛は織田信雄に属したが、1584年美濃加賀井城で羽柴秀吉軍に討たれた、或いは、1
582年尾張国戸田城で戦死したとも云う。現在は歴史看板、城址碑が立ち、遺構は無い。


【所感】国道23号線貝塚町北信号交差点から県道502号線へ入り、鈴鹿川を渡ったサー
クルK辺りから、一旦、楠歴史民俗資料館を目指し、更に楠村神社へ向う手前に楠城の目印
となる大楠と城址碑、歴史看板が在ります。城跡のエリアは良く分かりません。





楠城跡の大楠





楠城の城址碑と歴史看板