尾張 沓掛城
Kutsukake castle

           沓掛城址公園【愛知県豊明市沓掛町東本郷】
              慈光寺【愛知県豊明市沓掛町東本郷68】
              正福寺【愛知県豊明市沓掛町東本郷119】
ケヤキ乗馬クラブ・福島獣医科診療所【愛知県豊明市沓掛町東本郷35-1】

【立地】平城
【別称】沓懸城

【県指定史跡】

【歴史】14世紀期、近藤宗光が当地を治め、その後、重高-長安-景吉-義行-景重-景
政-伊景と続き、9代景春の時、鳴海城主山口左馬助義継に攻められ、今川方の城となる。
1560年今川義元は尾張侵出を狙い、駿府城から2万5千の兵を率いて出陣。掛川城→引
馬城→吉田城→岡崎城を経て、桶狭間へ向う前日、沓掛城に宿泊した。「桶狭間の戦い」後
、九之坪城主簗田出羽守政綱が戦功により沓掛城へ入り、城を改修。簗田左衛門太郎→15
75年織田越中守信照→1577年川口久助宗勝が入る。1600年「関ヶ原の戦い」で西
軍に属した久助は、伊達政宗へ身柄引き渡しとなり、慶長年間(1596~1615年)に
廃城となる。現在は沓掛城址公園、寺などに変わり、曲輪、空堀、土塁、井戸跡が残る。

【所感】田園風景が広がる中、ケヤキ乗馬クラブ・慈光寺に挟まれて沓掛城址公園が在りま
す。本丸・二の丸・諏訪曲輪・侍屋敷跡〔駐車場〕・本丸を囲む空堀・本丸↔二の丸間の土
橋が整備され、遺構が分かり易くなっています。往時の城域は時代によって異なりますが、
本丸を中心に東・南・西に曲輪が配置され、その名残りとして西端とされる正福寺の本堂裏
手に土塁の一部が残り、西側にも堀のようなものが在ります。





沓掛城址碑と看板・本丸



沓掛城址碑と看板・本丸



井戸跡・本丸



本丸東側の堀



本丸西側の堀



本丸-二の丸間の土橋



諏訪曲輪



沓懸城碑



沓掛城址 普照山 慈光寺