越前 丸岡城
Maruoka castle

        丸岡城跡【福井県坂井市丸岡町霞町1丁目・3丁目・4丁目】
    霞ヶ城公園事務所【福井県坂井市丸岡町霞町1丁目59】
      一筆啓上茶屋【福井県坂井市丸岡町霞町3丁目1−3】
       平章小学校【福井県坂井市丸岡町霞町2丁目41】
坂井市丸岡歴史民族資料館【福井県坂井市丸岡町霞町4丁目12】
       丸岡体育館【福井県坂井市丸岡町霞町3丁目1−2】

【立地】平山城
【別称】霞ヶ城
【天守の構成・形式】独立式望楼型天守

【国重要文化財】丸岡城天守

【歴史】1576年まるこの丘に築かれた柴田勝豊の居城とされる。勝豊は柴田勝家の姉の
子で甥にあたる。1582年勝豊は長浜城主となり、代わって安井家清が在番となる。15
83年勝家没後、青山宗勝が入り、1587年忠宗に継がれるが、1600年「関ヶ原の合
戦」で西軍に属して除封となり、1601年福井藩主結城秀康の次席家老今村盛次が2万5
000石で入る。1612年盛次は久世騒動で流罪となり、下総国井野3000石から本多
作左衛門重次の嫡男本多成重が福井藩主松平忠直の付家老となり、4万3000石を領する
。1623年忠直が乱行の責を負って豊後国萩原へ配流され、成重は4万6000石で丸岡
藩主となり、1626年弟重看に3000石を分与した。重能−重昭−重益と続き、169
5年有馬清純が5万石で入る。その後、一準−孝純−允純−誉純−徳純−温純と続き、道純
で明治を迎える。1934年天守が国宝に指定されるが、1948年福井大地震で倒壊。1
955年天守を修復し、国重要文化財に指定されている。


【所感】独立丘陵上の全体が本丸で、霞ヶ城公園事務所のエリアと天守が立つエリアで2段
になっています。丘陵の南側〔一筆献上茶屋・坂井市丸岡歴史民族資料館・駐車場〕は嘗て
水堀が在った場所、北側の住宅・平章小学校・丸岡体育館が二の丸になります。丸岡城は現
存天守としては最古のものですが、他の城とは違う雰囲気を持っています。下見板が黒塗り
でなく、瓦や鯱が石製である点がその理由と思われます。3回目にしてやっと青空で撮るこ
とが出来ました。広角レンズ撮影。











二重三階 現存天守 本丸地盤からの高さ:18.6m【国重要文化財】

 

天守1階内部〔写真:左〕天守2階内部〔写真:右〕

 

天守3階内部〔写真:左〕丸岡城天守閣の石碑〔写真:右〕

 

一筆啓上書簡碑・本丸〔写真:左〕天守閣記念碑・本丸〔写真:右〕

 

石製鯱・本丸〔写真:左〕井戸跡・本丸〔写真:右〕

 

本丸上段〔写真:左〕本丸下段〔写真:右〕