遠江 松下屋敷
Matsushita residence

         松下屋敷跡【静岡県浜松市南区頭陀寺町】
           頭陀寺【静岡県浜松市南区頭陀寺町214】
   かっぱ寿司浜松頭陀寺店【静岡県浜松市南区頭陀寺町312−1】
まつもとフルーツ籠盛センター【静岡県浜松市南区頭陀寺町312−8】

【立地】平城
【別称】頭陀寺城

【歴史】築城年は定かではない。1319年頃、西条高長が三河国碧海郡松下郷へ移住し、
松下姓を名乗ったことに始まる。7代長則の代に今川義元に仕え、松下氏が遠江国の土豪と
して名を馳せたのは、8代之綱である。1537年之綱は三河国に生まれ、今川氏真の仕え
て頭陀寺に屋敷〔頭陀寺城〕を構えた。1551〜1554年藤吉郎〔豊臣秀吉〕が之綱に
奉公した記録がある。1564年曳馬城主飯尾豊前守連龍の謀反により頭陀寺城も焼失。1
568年家康の遠江侵攻で今川氏の勢力が一掃されると、之綱は家康に仕えた。豊臣秀吉の
時代に200石の寺領が与えられ、1587年従五位下石見守となり、遠江国久野城1万6
000石の城主となった。現在は公園、回転寿司、住宅に変わり、発掘調査で土塁、堀の遺
構が見つかる。

【所感】頭陀寺第一公園にある屋敷跡の縄張図によると、『松下屋敷』は100m四方の居
館で、西端は『頭陀寺第一公園』の区画、そして『かっぱ寿司』の312番地区画+道路、
東端は332番地の区画になります。頭陀寺の裏手には『豊臣秀吉』『徳川家康』『井伊直
政』幼少期の三公像、松下氏との関係が書かれた看板も設置され、手短に済ませて帰ろうと
思っていましたが、様々にエピソードがあって楽しめました。松下氏発祥の地は、自宅から
車で15分程の豊田市桝塚東町に『松下』という字名として残っていますが、戦国期は広大
なエリアであったと思われます。現場に何か看板が立っていないか?一度確認してみます。





『松下屋敷跡』『松下嘉平次屋敷跡』の石碑・頭陀寺第一公園



頭陀寺第一公園入口の『松下屋敷跡』の看板



頭陀寺第一公園



青林山 頭陀寺



三公像・頭陀寺