三河 亀山城
Kameyama castle

       亀山城跡【愛知県新城市作手清岳字城山】
道の駅・つくで手作り村【愛知県新城市作手清岳字ナガラミ10−2】

【立地】丘城

【市指定史跡】

【作手藩】1602〜1610年

【歴史】応永年間(1394〜1428年)頃、標高540m、比高20mの丘陵端に築か
れた奥平貞俊の城である。その後、貞久−貞昌−貞勝−貞能−貞昌〔信昌〕と続く。157
3年奥平貞能・貞昌は古宮城の武田軍に攻撃を受けるが、石堂ヶ根・田原坂などに転戦し、
武田軍は敗走した。この戦功が認められ、1575年貞昌は信長より長篠城主を命ぜられ、
「長篠、設楽ヶ原の戦い」では武田軍の猛攻を受けたが、篭城に堪え、織田・徳川軍を大勝
へ導いた。貞昌は信長の一字を貰い「信昌」と改名し、新城城へ移り、家康の長女亀姫を正
室に迎えた。1583年奥平信昌・亀姫の間に生まれた忠明は、1588年兄家治と共に家
康の養子となり、松平姓を称した。1592年忠明は兄家治の死に伴い、その遺領である上
野国長根7000石を領し、1602年1万石を加増され、改めて三河・近江両国1万70
00石を領して作手藩〔亀山藩〕を立藩。亀山城を復興して藩庁とした。1610年伊勢国
亀山藩5万石へ転封となり、小川又左衛門氏綱が入るが、1619年廃城となる。現在は曲
輪、空堀、土塁など多くの遺構が残る。

【所感】国道301号線沿い「道の駅・つくで手作り村」の裏山に大きな看板で「亀・山・
城・址」と書いてあり、道の至るところに案内板が立っているので迷いません。駐車場前の
登城口から反時計周りに空堀を進むと良いでしょう。東曲輪→大手跡→虎口→腰曲輪を経て
、土橋跡→西曲輪から北側の腰曲輪へ周り、二の丸→本丸虎口→本丸の順になります。見所
は本丸南の巨大空堀、土塁になりますが、その他の遺構も大変良い状態で残されています。
旧作手村では古宮城跡と並ぶお薦めの城跡です。




駐車場から大手道へ







大手



土塁に囲まれた東曲輪



主郭南側の横堀




南曲輪



南曲輪南側の横堀



西曲輪西側の腰曲輪



西曲輪と腰曲輪から下る土塁



西曲輪



本丸北側の横堀と西曲輪北側の腰曲輪



本丸西端の木戸口





本丸南端に連なる土塁



亀山城址碑・本丸



本丸北端に連なる土塁



本丸東端の木戸口







本丸東端の木戸口







二の丸北隣りの曲輪



二の丸入口





二の丸下の曲輪